縄文叙事詩ホツマツタヱ

検証ほつまつたゑの編集長とらさんがリリース

2024-01-01から1年間の記事一覧

【ホツマの論点】 富士山と日月の神々 <92号 平成29年8月>

霊峰冨士の登拝シーズンもまもなく終わります。金剛杖を手に日本一の山頂を目指す登山者たちは、「信仰」として山を登っているわけではないのですが、大多数の方々が目的とするひとつは「ご来光」。(不思議なことに)ご来光に自然と手を合わせるのです。山…

【ホツマの論点】 幸福の起源と「おひとり様」 <93号 平成29年10月>

ホツマツタヱには獲物や恵みを意味する「サチ」という語句はありますが、「しあわせ」という語句がありません。「あわ」を結ぶという意味ともとれる「幸せ」は、極めてホツマ的な表現とも筆者には思えるのですが、文献では見いだせません。代わりに、「さひ…

【ホツマの論点】 ミチ(シ)カウタは相聞歌の意味か <132号 令和6年4月>

ホツマツタヱにおける「ミチ(シ)カウタ」の用語は、二例しかありませんが、現代の「短か歌」すなわち五七五七七の三十一文字短歌とは違う意味づけであったようです。このことについての考察は、この「ホツマの論点」106号で多少触れていました。ミチとミシ…

【ホツマの論点】 サカオリの宮と本庄家古文書 <94号 平成29年12月>

富士山麓の浅間神社は「センゲン」を正式名称にしているところが殆どですが、笛吹市の甲斐國一宮浅間神社と河口湖の浅間神社は「あさま」が正式呼称です。あさま神としてコノハナサクヤ姫を祀ると共にニニキネ神を奉祭します。式内名神社(甲斐國八代郡)の…

【ホツマの論点】 縄文の馬 <95号 平成30年2月>

今年は戌年ですが、イヌと同様に人の暮らしに太古より関わり深い家畜がウマです。ホツマでは馬に関する記述に一アヤ丸ごと割き、乗馬法が「君臣」にとって重要な技術であったことを物語っています。 家畜の宿命ゆえに、馬には不断の品種改良圧力がかかり、特…

【ホツマの論点】 ヲシテ文献探索「北嶺」への道 <96号 平成30年4月>

ご維新の激動期にヲシテ文献の散逸を憂慮し、貴重な写本を残した高島の旧士族、野々村立蔵(水尾神社祠官)は、容聡本を西万木の日吉神社に奉納するにあたり『秀眞政傳紀 傳來由緒書』を記し、この文献の伝来の経緯を後世に伝えました。その文中に、伝教大師…

【ホツマの論点】 八王子・八将神・八大龍王 <97号 平成30年6月>

「ヲシテ関連文献」発掘のために比叡山延暦寺の叡山文庫に特別な許可を頂き、古文書の閲覧を進めています。日本仏教最高学府のひとつたる天台宗お膝元だけあって、「ヲシテ」は見つからないまでも、様々な発見に驚かされます。天照大神を「大日霊貴(ウヒル…

【ホツマの論点】 恵比寿と大黒 柱の不思議 <98号 平成30年8月>

ホツマ二十一アヤは長編。連載中の『わたしのほつまつたゑ』(清藤)は、今回その後半の解釈となります。地鎮祭や棟上祭の原初が明かされます。楼門や鳥居、羅生門の語源や深意が、次々と語られて、息つく間もない驚きの連続となるアヤですが、「大国主」の…

【ホツマの論点】 さかのぼる縄文と弥生の前倒し ~「弥生時代区分不要論」を呈す~ <99号 令和30年10月>

戦後の縄文ブームは、1952年の岡本太郎「縄文土器論」からの第一次、1972年の縄文杉年代推定からの第二次、1994年の三内丸山遺跡栗柱発掘からの第三次と続き、今に至っています。この夏には、東京国立博物館に国宝六点が集結し、映画『縄文にハマる人々』も…

【ホツマの論点】 ひのもとやまとの甦り 〜伝ゑに極みなし~ <100号 平成30年12月>

夏から秋の台風では各地に被害が出ました。神社でも樹齢豊かなご神木が倒れるなどの悲しい知らせが相次ぎました。日頃、そのご神木に合掌なさっていた崇敬者の悲しみや如何ばかりと思いを致します。 ふと考えてみたのですが、神社の社殿とご神木、そのどちら…

【ホツマの論点】フトマニの読み解きに謹み畏こみも曰す <101号 平成31年2月>

平野新吉先生が小誌に連載ご寄稿下さる『フトマニ』を読む。本号に掲載された筮歌を拝読して、平成三十一年新春号の冒頭筮歌が、「イヨロ」の歌で佳かったと胸をなで下ろしています。 アマテル大御神が選者となり自らご添削なさって撰集された百二十八首の占…

【ホツマの論点】モチコは鎮魂されたのか <102号 令和元年4月>

箱根に遊覧船の浮かぶ芦ノ湖がありますが、湖畔に九頭龍神社が鎮座します。毎月一三日が月次祭で、この日には特別遊覧船が運航し、数百人の参拝者が訪れます。財運と恋愛運に絶大な御神徳があるという評判で、女性達やスーツ姿の男性が狭い社前を埋め尽くし…

【ホツマの論点】令和は新「国風文化」の序幕となるか <103号 令和元年6月>

令和時代の幕開けとなりました。新元号は、初めて漢籍ではなく日本の古典(国書)から選定されたとされ、にわかに「万葉集」ブームだとか。ですが、「漢籍を典拠とせず」と殊更強調するまでもなく、元々、我が国の元号は、本朝の目指すところの理想を「漢字…

【ホツマの論点】六根清浄 どっこいしょ わっしょい 五輪 おもてなし <104号 令和元年8月>

山岳信仰で「お山参り=登拝」を行う民間宗教では、登拝の際に「掛け念仏」という一種の号令を掛けあいながら険しい山道を踏みしめていく、と云う情景がみられます。「サンゲサンゲ 六根清浄」「六根清浄 お山は快晴」などと、指揮者である先達の掛け声に合…

【ホツマの論点】ラグビーにもサッカーにも顔がきく八咫烏はスパイだった? <105号 令和元年10月>

我が国が開催地となったラグビーワールドカップ。肉弾ぶつかり合う烈しい戦いと、その紳士的なプレースタイルに魅了されますね。本号発行の頃は丁度ベスト8からの戦いですが、ご存じでしょうか。その戦いぶりを最も熱心に見つめている神さまは、下鴨神社の…

【ホツマの論点】ミチカウタとミシカウタ、サネサシ? <106号 令和元年12月>

東京の明治記念館喫茶室で私たちホツマ出版会『検証ほつまつたゑ』編集委員は、毎月、会合を開いています。投稿いただいた原稿の確認、次号以降の企画検討、ホツマツタヱから観た世相の話題など、ざっくばらんに意見交換をしていますが、この「放談」の場が…

【ホツマの論点】クメ(大来目)が、もしもミチヲミ(道臣命)だったら?  <107号 令和2年2月>

古事記では、「天孫ににぎ高千穂峯天降り」のくだりで故れここに天忍日命、天津久米命二人、天之石鞆を取り負ひ、(略)御前に立たして仕へ奉りき。故れ、其の天忍日命、此は、大伴連等の祖。天津久米命、此は、久米直等の祖なり。 と記しています。 大伴連…

【ホツマの論点】チャイナ・ウイルスは、21世紀のハタレ騒乱か? <108号 令和2年4月>

崇神朝を揺るがした疫病の蔓延は、三年越しに国土と民を疲弊させました。イソニヱ(ミマキ イリヒコ=崇神天皇)は、神託によりオオタタネコを見いだし、ヲヲモノヌシ神を祭祀させ、ヲヲクニタマ神の祭祀も再興させて、乱れた世の中をようやく立て直すことが…

【ホツマの論点】脱地球主義の目覚めと靖国回帰 <109号令和2年6月>

武漢風邪(チャイナ・ウイルス)の世界拡散に対応して世界中で「鎖国&謹慎」ブームが流行しました。すべての「流行」には負の側面があるように、このたびの「鎖国&謹慎」ブームの弊害も、世界経済や心の健康に重大な爪痕を刻印しつつあります。ですが、全…

【ホツマの論点】ハタレ騒乱から学ぶ知恵 <110号 令和2年8月>

オモタル・カシコネ(天神六代)の武断政治がもたらした社会の混迷を、七代の両神イサナギ・イサナミは刷新させ、民衆教育を土台に天下の修理固成を成し遂げます。「和の心」を引き継いだアマテルは父祖が拠り所とした「斗と矛(トホコ)/徳治と法治」の原…

【ホツマの論点】六甲と七面 <111号 令和2年10月>

六甲山がセオリツ姫所縁の霊山であることは本誌73号の大江幸久氏『六甲山・瀬織津姫とワカ姫』で詳細に論じられました。本誌愛読者の中にも、六甲山(むこやま)神社(石の宝殿)と六甲比命大善神社を巡り拝んだ方がいらっしゃることでしょう。 本誌104号で…

【ホツマの論点】立皇嗣の礼 <112号 令和2年12月>

令和二年十一月八日、立皇嗣宣明の儀(りっこうしせんめいのぎ)を要とする立皇嗣の礼(りっこうしのれい)がつつがなく執り行われました。第126代天皇徳仁さまが秋篠宮文仁親王さまの立皇嗣を国の内外に宣明した皇室儀礼が、厳かに齋行されましたことを心よ…

【ホツマの論点】光と闇の世界 <113号 令和3年2月>

世界中の注目を集めたアメリカ大統領選挙が一月二十日の46代大統領就任式で幕を閉じました。選挙における不正は、郵便による大量のなりすまし投票と片や有効票の隠滅破棄、あるいは票の重複集計などが、証拠画像や宣誓書付きの証言で無数に告発されました。…

【ホツマの論点】十年目の津波 伊勢の道は破壊されるのか <114号 令和3年4月>

武漢肺炎の拡散と世界蔓延以降、あやしげな潮流が津波の様に押し寄せてきて、世界中の伝統文化と習俗がロックダウン即ち「封鎖」され、全面的に見直されようとしています。 SNSも含む寡占メディアによって危機感は増幅され、非常事態が「新生活様式」として…

【ホツマの論点】 フトマニの「ふと」 <115号 令和3年6月>

「フトマニ」の語句を分解解釈してみる場合、多くの方が「ふと」と「まに」に分けて解釈を試みます。国文学における通説でいえば、「ふと」は、美称/敬称で、「まに」は、「まにまに/随々」を意味して、「神意のおもむく尽に」と云う解釈をとるようです。…

【ホツマの論点】 熱田神宮とヤマトタケ <116号 令和3年8月>

熱田神宮の主祭神は、ご神体である草薙剣であり、その本体は天照大神であると云うのが現在の神社本庁の見解です。伊勢の神宮のご神体が八咫鏡であって、本体をやはり主祭神たる天照大神と看做すことに準じています。古来「尾張造」と云う建造法で建てられて…

【ホツマの論点】 天孫紀元と謎の179万余年 <117号 令和3年10月>

令和三年は、天孫紀元1795154年と云われても一般人には???でしょう。これは日本書紀の神武紀にある「皇祖皇考、乃神乃聖、積慶重暉、多歷年所。自天祖降跡以逮于今一百七十九萬二千四百七十餘歲。」から計算された瓊瓊杵尊天孫降臨を紀元とする年号で、一…

【ホツマの論点】 ほつまつたゑが隠した秘密 <118号 令和3年12月>

日本書紀と古事記は、「史実」を「神話化」して歴史を断ち切り、それらの「神話」を粉飾しています。さらに、そもそも神話としてさえ取り上げない物語が数多くあり、あろうことか物語以前に舞台そのものも消してしまっています。舞台とともに登場人物も数多…

【ホツマの論点】 アマテル大御神が食した苦草 <119号 令和4年2月>

ハラミの宮に宮都をひらいたアマテル大御神が、天下の安寧を見届けるために苦草を小食し、長寿を維持したことはホツマ全編で繰り返し語られています。『食重なれば 齢なし 故に大神 月に三食 苦きハホ菜や』1文 『我が常の食 千代見草 他の苦菜より 百々苦し…

【ホツマの論点 皆様のおかげで創刊二十年】  <120号 令和4年4月>

『現代用語の基礎知識』(自由国民社)の初代編集長で、経済学者PFドラッガーを我が国に紹介した花形編集者・松本善之助氏が、趣味の古本屋街巡りで見つけた3アヤ分の写本。ホツマツタヱの再発見は1966(昭和41)年の夏でした。松本翁は当時47歳で、個人的…