縄文叙事詩ホツマツタヱ

検証ほつまつたゑの編集長とらさんがリリース

【ホツマの論点】 幸福の起源と「おひとり様」 <93号 平成29年10月>

 ホツマツタヱには獲物や恵みを意味する「サチ」という語句はありますが、「しあわせ」という語句がありません。「あわ」を結ぶという意味ともとれる「幸せ」は、極めてホツマ的な表現とも筆者には思えるのですが、文献では見いだせません。代わりに、「さひあひ/さいわい」という言葉があります。

 幸福のホツマ的表現である「さひあひ」は、駒形一登さんの解釈では「添ふ」「合ふ」の名詞表現ということですが、男女が寄り添って出会い結ばれることを意味します。ちなみに「さいあい」を変換すると「最愛」となりますが、平安・鎌倉・室町頃の古典にも、「さいあひの妻」「最愛の中」「さいあひして、御子あまたいでき給う」などの用例があり、この言葉が古くから男女の和合を示すことは常識的であったことがわかります。

 さて、その「さひあひのもとおり」つまり「幸福の起源」を語り明かしたのが、ホツマツタヱの第二アヤ「天七代床神酒のアヤ」で、雛祭りの起源ともなるウビチニとスビチの婚姻譚です。桃の木のお話や、御神酒の謂われ、嫁ぎの意味や三三九度盃の由縁、禊ぎや祝い水の発祥などが説かれるとっても楽しく興味深いアヤです。初々しい(ヒナ)のふたりが出会い結ばれる物語は、青春映画を観ているような気分にさせてくれます。

 縄文の昔から「幸い」の本源は、男女の睦び合いにありました。このアヤが、「うた(和歌)」を主題とした第一アヤに続く全四〇アヤの二番目に置かれていることは、重要です。男女の睦び合いこそが、天成る道、人々が目指すべき道であり、人倫の聖上たる「君」の率先垂範すべき道である、と宣揚し、「君/キミ」の起こりが「木と実」であり、木たる男が実たる女を迎え入れて完成型となると、説くのです。

 ですが、疑問も生じます。雛の二人は天神四代目。初代から三代までは「女もあらず」、独り神であったと伝えるのです。「おひとり様」でした、と。妻の不在は、結婚制度の成立以前だからとかの解釈もありますが、はてさて、真相はいかがなものでしょうか。

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「しあわせ」という言葉は、誰もが一番もとめる人生の価値だと思いますが、ホツマ文献には用例がありません。けれども、「さひあひ」と云う言葉がじっくりと語られています。「幸せ」は、家族の平安や、健康長寿と結びつきが強いようにわたしは感じていますが、その状態は、ホツマ的には「ゐをやすく」と「やすく」つまり「靖国」として表現されています。

ホツマの第2アヤは、「さひあひ」を語る章なのですが、「幸い」は、「幸せ」とちがって、もっと直截的に「男女の良い仲」を表現する言葉であるようです。つまり「伊勢の道」です。ワカ姫の成長を綴った第1アヤをさかのぼってウビチニとスビチの陰陽和合を物語っています。不思議な順序ですね。

これは、書き出しで、宇宙論(1綾)を語り、次ぎに陰陽論(2綾)を語っているのだと思われます。縄文の世界観を、優しく美しく、ゆるやかに語るこの書き出しは、何とも味わいが深いものです。

(とらさんは、no+e ブログでも投稿しています)

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