縄文叙事詩ホツマツタヱ

検証ほつまつたゑの編集長とらさんがリリース

【ホツマの論点】 縄文の馬 <95号 平成30年2月>

 今年は戌年ですが、イヌと同様に人の暮らしに太古より関わり深い家畜がウマです。ホツマでは馬に関する記述に一アヤ丸ごと割き、乗馬法が「君臣」にとって重要な技術であったことを物語っています。

 家畜の宿命ゆえに、馬には不断の品種改良圧力がかかり、特に軍事目的において強制的な措置もあり、血種は著しく改変されてしまいました。薩摩馬の薩摩藩はすでに戦国期にペルシャから軍用馬を輸入していましたし、南部馬の奥州でもロシアやモンゴルから数百頭の馬を買い入れたと記録されています。

 現在の官製古代史では「日本の馬は古墳時代朝鮮半島から帰化人と共に渡ってきた」と一般的に説明されていますが、縄文時代から在来種の日本馬が複数存在していたと考える研究者もあります。ですが、いずれにしても程度の差はあっても混血の影響は免れず、遺伝的調査だけでは「縄文の馬」の元の姿を描き出すことは難しいようです。

 離島や岬の先端など、交通不便な地域で血種が守られ、かつての姿をよくとどめる馬群八種を、日本馬事協会が「日本在来馬」として認定し保護にあたっています。ホツマでは、「馬のうまれつき」として、ヒタカミ、コシ、ツクシ、ミナミの四種の馬の区分を示し、それぞれの性格や体質を描写しています。それを比較してみると、北海道和種(俗称道産子)は元の南部馬であり、ヒタカミの馬に近く、宮崎の御崎馬対馬対州馬、そして純血種としては絶滅した薩摩馬がツクシの馬の特徴に通じるように思えます。ミナミの馬はトカラや宮古、与那国の在来馬の特徴に通じます。コシの馬に関しては、やはり純血種としては絶滅した甲斐馬や、在来八種に残る木曽馬とつながるようです。

 在来馬は小型で子ども向け? と一般に誤解されていますが、モンゴルの馬も道産子や木曽馬とほぼ同程度の馬高です。騎射に向くということでは共通する素質をもつ馬種なのでしょう。

 乗馬法とともに馬具に関する記述も豊富なので、このアヤの研究は、ホツマの真正を証明する上で極めて重要だと云えましょう。

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日本の古代史の再発見、読み改めは各方面で進んでいますが、金属加工とともに、まだ、決定的な論証が進まないのが、乗馬の記録です。

ホツマツタヱでは、今回の論考のように、まるまる一綾(40章の中の1章)を使って、乗馬の作法について記述しています。その記述は詳細を究め、今日伝わる和風の乗馬作法につながる用語もあり、看過できない内容になっています。乗船と乗馬は、縄文時代の神々(施政者)のたしなみとして当たり前のものであったようです。

黄金休暇週間では、古社で乗馬に関する神事が執り行われることが多いですが、ぜひ、ホツマツタヱの19綾をお読みになってから、お出かけ頂ければと存じます。

(とらさんは、no+e ブログでも投稿しています)

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