ホツマツタヱでは聖なる神獣がいくつか登場しますが、「いとり」はその最たるものです。「鳳凰」と後に漢字書きされる聖鳥(瑞鳥)であり、手塚治虫さんの「火の鳥」も原型はたぶんこれでしょう。現行一万円札の裏面のデザインは、宇治の平等院鳳凰堂のもの…
縄文の教え88 より 「タカノコウ」という言葉が、序章や天巻に出ます。 『皇子オシホミは ヒタカミの タカのコウにて 国治む』序『タカのコウ 壺若宮の(略) 占の吉き日に 渡ましの 君はアマテル 代嗣御子』11文『アマテル皇子の ヲシホミミ 天津日月は タ…
アマテル大御神の正后セオリツ姫は、イミナ(本名)をホノコと云います。セオリツホノコには、複数の称え名(と形容詞)があり ① アマサカルヒニ ムカツ姫② サクナダリ セオリツホコノ③ サクラタニ タギツセノメ などが記述されます。 セオリツホノコは、大…
フトマニ歌65番「もやま」は、日本国国歌の源流となる歌です。 『もやまとの みちはつきせし ありそうみの はまのまさこは よみつくすとも』フもやま この歌では、「まさこ」と云う語が要となっています。「磯の真砂」です。「まさこ」は、ホツマの序文で歌…
「てにをは」は、漢字では、【弖爾乎波・天爾遠波】等と表記し、日本国文学では重要な用語です。 日本語を特徴づける用法のひとつに「助詞」の活用があり、「てにをは」は、その助詞を総称する用語として古くから認識されています。「てにをは」が総称となっ…
「天の岩戸開き」は日本神話の重要場面です。『諸カミは イハトの前に かしまとり これぞトコヨの 「ナガサキ」 や』ホ7 『君 笑み 細く 窺えば イハトを投ぐる タチカラヲ 御手 取り出し 奉る ツハモノヌシが しめ縄に 「な返りましそ」』ホ7 ソサノヲの狼…
ホツマツタヱに「やくどし/厄年」という言葉はありませんし、「やく/厄」という言葉もそもそも記述がありません。しかしながら、男女の厄年に通底する概念はあり、 『然れど父は 鈴 四十穂 母は三十一穂 アメのフシ 宿れば当たる 父の汚穢 男の子は母の 隈…
縄文の教え88 より 古語辞典で「あな」を引くと「感情の高まりから発する語。喜怒哀楽いずれにも使う」(三省堂全訳読解第三版)とあります。ホツマでは、 『両神 叔母を 称ゑます キクキリ姫も あなかしこかな』ホ4 『なく皇子の 声ききとれは あな嬉し』ホ…
縄文の教え88 より アマテルが基を築いた徳治の原則には、両羽の臣による分権輔弼の仕組みがありました。鏡の臣と剣の臣によってバランスをとる、という近代の三権分立にもつながる治政の要諦でした。けれども、神武の大和朝以降は、両羽制が形骸化されてい…
ウツロヰの神は、捉えどころの難しい神さまです。 ホツマに登場する神々は、そのほとんどが「人格神」であり、生前は「○△守」「○△主」という意味の「カミ」として地方や役職を司る方々でした。つまり、元は生身の人間です。逝去した後も、偉大なる貢献をした…
ホツマ辞解⑰で「かも」「あも」「みたらし」を取り上げました(104号令和元年8月)。「上下」をへだてなく慈しむ心がけが、「斗の教ヱ」の根幹にあるのですが、それを表現する重要語句が「(み)もすそ」です。 天縫(ぬ)うなる 御衣(みは)の所縁(ゆかり…
縄文の教え88 より 今の世の日本人は「四十九日」や「祥月命日」を仏教がもたらした習俗と考えている人が多いですが、もちろんこれらは縄文ほつま時代からの習いです。 「よそや」は、故人が神上がりした日の夜から毎晩「もがり」のために専用に設けた一室(…
ヲシテ文献にみる数詞は、「ひ」「ふ」「み」「よ」「ゐ」「む」「な」「や」「こ」「と」が基本です。大和言葉の一、二、三、、、十として今日も「なんとなく」当たり前に数えられているとお考えの方、大間違いです。 実は、日本古来のこの数の数え方と云う…
https://wa-gokoro.jp/event/annual-events/689/ ワゴコロより お正月に「鏡餅」をお供えします。ホツマ伝に「カガミモチ」の用例はありませんが、1アヤに「はつひもち あわのうやまひ」があり、この解釈には「元旦に餅をお供えして」という解釈と「朔日と…
神武東征「カンタケのヤマトウチ」29アヤでは、「烏と鴫と鵜」が登場します。「ヤタノカラス」と「兄シギ」「弟シギ」と「黄金ウノトリ」です。 記紀神話とホツマ伝では、異伝を伝えるので注意が必要です。 1.記紀では「ウノトリ」は登場せず、瑞兆とな…
帯は心身の七五三縄です 縄文の教え88 より ヲシテ文献により大和言葉の語源が解明する事例は多いのですが『ふとまに』も解明の鍵を数多く秘める書です。平野新吉氏による『フトマニを読む』の全解釈が本号で完了しますが、フトマニ最後の卦歌は、「しめなわ…
ヤマサ神は「八つ」の「将神」即ち「八将神」と通常漢字表記します。理解が難しい神格です。何故難しいかというと、①「ヤモト神/八元神=天元神(アモト神)」と混同されやすい。②現代の旧暦占いの「八将神」の元になるものだけれども、大きく解釈が違う。③…
#isumu 三種神器(ミクサタカラ)はアマテル大御神が定めたものであり、イサナギ・イサナミの両神時代には、「トとホコ」で治めていました。 『あめつちの 拓らけし時に ふたかみの トホコにをさむ』ホ序 「ト(斗)」とは「トの教ヱ」のことであり、ヲシテ…
フトマニ歌の「四行分かち書き(9.10.9.3/九十九三)」を古代には何と呼んでいたのでしょうか。古今伝授や皇室においては、「つくもさん」と呼び習わしていたと本誌掲載論文で宮崎氏は指摘していますが、「つくも」はあり得ても、「さん」は漢音読みなので…
ヤマトタケは、何故遺言で「雲居に待つ」と告げたのでしょうか。これを考える際に理解しておきたいのは、「雲」と「クマ」の近似です。 クマは現代キャラクターとしては愛くるしい存在ですが、実際に人里に現れると忌み嫌われる害獣です。ホツマの「クマ」は…
「かかんのんてん」は、不思議な音感のある古語ですが、現代語に翻訳することが難しい用語です。ホツマ愛好者で神道に親しむ方であれば、六月と十二月の晦日に奏上される『大祓詞』にある「加加呑(かかの)みて」という用語にそれが伝えられていることに関…
www.youtube.com 高千穂岳 伊勢二見ヶ浦の夫婦岩では夏至の朝に富士山の山頂から昇る朝日を遙拝することが出来ます。旭日の光が指し示す聖線(これは冬至に沈む夕陽が目指す方角です)は、熊野や四国をかすめて、宮崎(日向国)に向かいます。つまり太陽が極…
縄文の教え88 より 我が国日本を象徴する花といえば、ご皇室の紋章である「菊」が筆頭ですが、ホツマでは「たちはな」も重要です。「菊」と「橘」については、本誌の104号で駒形一登さんが、「ホツマでわかる縄文の思想④」で詳細に解説しておられます。その…
縄文の教え88 より 「うましかしがいひこち」神という神格は、ヲシテ文献でも一筋では理解できない難解な存在です。 古事記では、宇摩志阿斯訶備比古遅神と表記され、八百万神に先駆け、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の造化三神の次に生まれた神で…
縄文の教え88 コラムより 「タミメ」というやや耳慣れない言葉が、ホツマに出てきます。解読者によって「手印」「掌相」「手見」などの漢字表現がとられています。密教僧侶や仏像のように手を組んでひとつの「神意」を表現したものです。 ホツマの哲学世界観…
絶大なる邪魔祓いの秘歌として、ホツマツタヱでは、ふたつの「サツサつづ歌」が記述されています。 ハタレ魔叛乱の際に、大御神が歌札に染め詠んで粽餅(笹餅)に添えて投げた歌(8綾) 「サ」スラデモ ハタレモハナゲ ミツタラズ カカンナスガモ テダテ「ツ…
「やむ」という言葉には、ホツマ時代では元々には「病む」というような意味は希薄で、いわゆる「止む」を意味する「とまる/おさまる/おちつく」という意味合いが原義であったように思えます。 『と詠えば 風やみ船は快く アワに着くなり』ホ1 『ハタタ神な…
縄文の教え88 より イサナギとイサナミが「ことたち」を行った五アヤの「よもつひらさか/黄泉津平坂」での掛け合いは、両神の建国物語のクライマックスです。この時に感嘆詞のように発せられた「うるわしや」と云う用語の解釈は、簡単ではありません。 『う…
縄文の教え88 より 既に、心ある読者にはお気づきの事かと存じますが、 『せみの小川に ミソギして 茅の輪に糺す』の歌は、 ミホヒコ子守神の称え名が贈られた場面にちなむ歌であり、ホツマ伝承では、今の下鴨神社の地を直に指すとは確定できません。ホツマ…
縄文の教え88 より 前回「みたらし」について触れましたが、 『汝オシヒト 我が代わり 常のよさしも みたたしそ』ホ11 における「みたたし」は、「身糺し/御糺し」と解釈するべきではないか、とのご意見を頂きました。 【下鴨神社境内の御手洗川、御手洗池…