縄文叙事詩ホツマツタヱ

検証ほつまつたゑの編集長とらさんがリリース

【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㉒「やむ」と「ゑやみ」 <109号 令和2年6月>

「やむ」という言葉には、ホツマ時代では元々には「病む」というような意味は希薄で、いわゆる「止む」を意味する「とまる/おさまる/おちつく」という意味合いが原義であったように思えます。

『と詠えば 風やみ船は快く アワに着くなり』ホ1

『ハタタ神なり やまざらば ほおこほさわそ ひなおりと 祈り』ホ18

『その光 照り輝けは ナガスネか 戦いやめて 君にいふ』ホ29

「病気となる」意味では「やめる」と云う語句が一般的です。

『年月お経れともやはり やめるかと心痛めて』ホ4

『やめるお癒やし 鳥獣悪虫祓ひ 恩寵おなす』ホ9

『よよのため やめるお癒やす みちおわけ』ホ10

『はら悪しことは なかるへし はらやめぬ間に たえに諭せよ』ホ13

他方で、現代語としてはあまり使わない「ゑふ/酔ふ」という語句があります。

『八岐かしらの オロチ来て やふねの酒お 飲みゑいて』ホ9

『酒おあたたに 飲ましむる ちち飲みゑひて』ホ38

『こころゑひ もゆる如くに あつけれは 泉に醒ます さめかゐや』ホ40

「ゑやみ/疫病」という言葉は、「酔ふ(ゑふ)」と「病める」が組み合わさったような言葉であり、ホツマ伝承に時々登場し、天君たちは、その対応に苦心します。

『みほの五月雨 四十日降り ゑやみ流行りて いねみもち』ホ30

『直りの祓ひ おこなえば ゑやみも直り いねなおる』ホ30

『神崇め ゑやみたす綾』ホ33

『五年ゑやみす なかば枯る 六年民ちる』ホ33

『ゑやみむけいえ ゾロ稔り 民豊かなり』ホ33

『これ罪人の シイととむ ゑやみ為すゆえ』ホ33

『めをおえは 望の朝(あした)は ヒモロゲの あつきの粥に ゑやみよけ』ミ7

 この様に考えると、縄文人たちは、心躰に何か異物もしくは過分なもの(酒や邪念など)が入り込んで、正常な働きを阻害された状態を「ゑやみ/疫病」の状態と考えていたように観ることが出来そうです。

 治癒とは、元の状態に直すことであり、本来の姿を取り戻すこと、と理解していたのでしょう。

(駒形「ほつまつたゑ解読ガイド」参照)

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 コロナ禍において、全国の寺社はその存在意義を見失い、祭りを自粛縮小し、祈りを封じ込めてしまいました。疫病を封じ込めることをせず、祈りを封じ込めてしまっていたのです。
 まさに、社会全体に「何か異物」もしくは「邪悪なもの」が入り込んでいた状態だったいえましょう。「ゑやみ」ていたのです。
 その異常状態から、私たちはまだ恢復しているとはいえません。実に、慢性化しているとみても良いかもしれません。経済が見た目回復して、株価が史上高値を更新し、新札が発行されても、「不安」と「恐怖」は、まだくすぶっているのです。
 本来あるべき「祈り」が再興されなければならないのでしょう。
 オオタタネコが「あるべき祈り」を甦らせたように。

画像
縄文の教え88 より


 

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