縄文叙事詩ホツマツタヱ

検証ほつまつたゑの編集長とらさんがリリース

【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㊻「こう」と「みやこ」 <132号 令和6年4月>

縄文の教え88 より

 

「タカノコウ」という言葉が、序章や天巻に出ます。

『皇子オシホミは ヒタカミの タカのコウにて 国治む』序
『タカのコウ 壺若宮の(略) 占の吉き日に 渡ましの 君はアマテル 代嗣御子』11文
『アマテル皇子の ヲシホミミ 天津日月は タカのコウ タクハタ姫の 御内入り』12文 他

 この「コウ」は、後代に「国府」と漢字表記される「国の中心地」という意味です。本来の意味は、「コウ=首/頭」であり、「こうべ=かうべ=頭部/首部」となります。ですから、「首都」でもあり「京」でもあります。「きょう」と「こう」の音の近似もあります。

 タカノコウは、ヒタカミ国の首都です(中央政府でもある)が、近江の宮を遷したものでもあります。つまり、「タカノコウ」は、「多賀京」あるいは、「タガ」の意味を汲んで「治闇京」と漢字翻訳することが出来るかも知れません。もっとも好字を使えば、やはり「多賀京」が、ふさわしいようにも思います。

 さて、「みやこ」も国の中心地です。「たかまとみやこ」を辞解のその⑤93号で、書き始めたのですが、前編の「たかま」で止まっていましたので、「みやこ」を考えてみます。

 「みやこ」は「宮のある処」という意味と宮の中でも最上級「九/コ」であるという意味が重なっているようです。国守の政庁、地方の政都も「みや」と呼称していたので、皇君の坐すところを「みやこ」と特別呼称していたのでしょう。

 ここで、琵琶湖の「多賀宮」の変遷を観ると、

両神が「初の宮」とされた多賀宮は、「たかのみや/たかのみやこ」
② オシホミミが執政された宮は「たか若宮」
③ 後にカモヒトが再建された宮は「たかのみや(こ)」

と呼称されていています。

 実は、「みやこ」の用語は、人の巻からはよく使われるのですが、天地巻では、両神とアマテルにしか使用されていません。

 これはつまり、アマテル大御神の存命中は、「みやこ」=「高天原」であり、あくまでも大御神が坐します都だけが、特別に至上であるという意識が働いていたからではないかと思われます。オシホミミは祖父神と父神に遠慮して「コウ」を宮の名前としたのですね。

(駒形一登「解読ガイド」参照)

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 「こくぞう(国造)」という古代官僚制の役職名があり、古代史の定説では、ヤマト王権の地方行政単位であるクニをとりまとめる古代豪族から任命されたと説明されており、神武朝に最初の設置記述があるとされます。
 しかし、ホツマで自明なようにこれは「クニツコ」という官職であり、神武以前から設置されており、しかもその元には「ヨコベ・ツウジ」という地方長官と地方監査官という中央統治機構の勅任官職がいたことがわかります。
 「国府」は、令和の現代も各地に地名として残る「地方国の中心地」です。しかし、「日本国=ひのもとやまと」の中心地である「みやこ」という呼称と、「地方国」の中心地である「こう(国府)」とは、微妙に差異のある「こう(首都)」という「政事の中心地」が存在していた一時期がありました。一時期といっても、実に長い年月でした。(トヨケ神の綾神上がり後)アマテル大御神が存命中は、アマテル神の鎮座地(居住地)が「タカマ」であり、「=みやこ」であり続けたからです。

相模国の「国府祭り」↑ 古色豊かで趣がある

豊川国府夏祭り ↑ 豪華絢爛で楽しそう

昭和4年の 府中 くらやみ祭 ↑

今年完全復活した くらやみ祭り ↑ やはり日本は祭りの国だ

イベントにすれば盛り上がるというものぢゃない、、、 ↑