縄文叙事詩ホツマツタヱ

検証ほつまつたゑの編集長とらさんがリリース

【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㊸「てにおは」 <130号 令和5年12月>

「てにをは」は、漢字では、【弖爾乎波・天爾遠波】等と表記し、日本国文学では重要な用語です。

日本語を特徴づける用法のひとつに「助詞」の活用があり、「てにをは」は、その助詞を総称する用語として古くから認識されています。「てにをは」が総称となったのは、平安以降に大学寮等における博士職が使用した「ヲコト点」に由来する、と云うのが定説です。下図(乎古止点)の左下から右回りに読んだ、とされます。

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この定説では、本朝に漢字が伝来してからの用語ということになりますが、それは誤りです。何故なら、ホツマ伝に「てには」が記述されるからです。

『これを他所にて "舟 破れて 竜と蛟竜の 力得て" これ誤れる テニオハぞ』序

『これ諸家の 伝え文 今の "てには" に 擬えて 形と技と その味を 篤と得ざれば』ミ序

『筏と鴨の 初めより 和言葉の 道 開きて 立つ中壺の ちまたより テニオハ傅き 導きて』ミ和字

 この三つの用例を鑑みるに

① 「てには」ではなく「てには」がヲシテ文献の正当な表記

② 「てにをは」(現代語)の語意に、「話のつじつま」と云う用例があるが(てにをはが合わない)まさに、和文の語意を正確に伝える重要なことばであるという認識が古くからある

③ ホツマでは、大和言葉の「根幹」であるという捉え方さえしている

と云うことがわかります。

なかでも、「てにおは」の「お」は「あ行」の「お」である、つまり現代用法の「くっつきの『を』」は、ホツマ時代は「あ行の『お』」であった、と云うことが明確である点は重要です。

本号掲載の丸山論文にあるとおり「ひらがなの『を』」が、「わ行」で間違えないとすると、日本語文法の経緯を検証する際に、貴重な示唆をあたえる事実であるといえましょう。

(駒形一登「解読ガイド」参照)

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 小誌『検証ほつまつたゑ』掲載論文の中でも、最近とても話題となったのが、丸山恭平さんの『ヲシテはひらがなの原型』です。つまり、漢字伝来前から存在した我が国独自の神代文字であるヲシテ(ホツマ文字)は、その後、「ひらがな」として生き残った、とする仮説です。
 それに関連して、日本語の特徴である「膠着語」を形成する助詞すなわち「テニヲハ」を辞解で考察しました。日本語の融通無碍な柔軟性(外来語をそのまま取り込めることも含め)を担保する「テニヲハ」は、興味深い存在です。
 そして、ここがホツマツタヱ文法の特色でもあるのですが、「くっつきのヲ」を「あいうえおのお」で表現することが、明白となっているのです。つまり「テニヲハ」ではなく「てにおは」が正則なのでした。

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と云うことで、まったく本論とは関係ないのですが、最近視聴した興味深い動画 ↓

(とらさんは、no+e ブログでも投稿しています)

 

 

 

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