2024-01-01から1年間の記事一覧
ヲシテ文献で使用される大和言葉を取り上げ、今に伝わる言葉との差異や、その言葉が生まれる成り立ち、深い意味、関連する言葉との比較などを探ります。 *************** 地名としての「ほつま」は、元々は東国(琵琶湖以東)全体を指してい…
「ほつま」は、叙事詩の本名。「やまと」は我が国の国号に所縁ある重要語句で、ともに深い意味をもちます。 どちらも、もともとは「徳治」を美称する同義語であり、「優れて調い、秀でた円満(なる治政)」を意味し、「和を以て貴しとす」の「和」を表す言葉…
ヲシテ文献で使用される大和言葉を取り上げ、今に伝わる言葉との差異や、その言葉が生まれる成り立ち、深い意味、関連する言葉との比較などを探ります。 *************** 三月三日のひな祭りが、ホツマの縄文時代にすでに年中行事(なめこと…
ヲシテ文献には、「ことは」と「ことのは」の表現がありますが、 「ことのはなくて」ホツマ1綾「ほとのことのは」フトマニをやま「ことのはお」ミカサ として使われる「ことのは」は、文字数を(五七に)調整するために「の」が加えられたもので、原型は「…
世界中に継母が夫の連れ子を陰湿にいじめ、自分の子を溺愛するという物語りがあります。 その中で最も有名なものに、ドイツのグリム童話『灰かぶり(フランス語でシンデレラ)』があります。 グリム兄弟は童話集を出すに当たって、16世紀のイタリア人作家、…
号泣会見で世界的に(?)有名になった、兵庫県議会議員の野々村某氏は朝鮮系人ではないか、という噂が巷で飛び交っています。 原因は、会見の途中で飲んだコップの水の飲み方が、いわゆる朝鮮飲みだったということのようです。 確かに、そう言われれば会見…
一般的には【「古代の占いの一種。鹿の肩甲骨を焼き,骨のひび割れの形によって吉凶を判断する。「天つ神の命(みこと)以ちて,━に卜相(うらな)ひて/古事記上」】(大辞林 第三版)という理解の範疇にある「ふとまに」なる難語が、ヲシテ文献のひとつで…
平安前期の九〇五年に奏上された古今和歌集。その仮名序で紀貫之は「やまとうた」について次のように書いています。『このうた、あめつちのひらけはじまりける時より、いできにけり。しかあれども、世につたはることは、ひさかたのあめにしては、したてるひ…
今年は松本善之助先生の十三回忌に当たります。 赤坂例会では先生の遺徳を慕う六人が、御命日の四月七日に四谷三丁目駅に集合、松本家の菩提寺・四谷本性寺へ向かいました。 前日の暖かさとは打って変わり、小雨まじりの寒い日でした。 お寺に着いて墓参前の…
ヲシテ三書を発見し研究の道を拓いた松本先生は、晩年に各地の講座を閉じて赤坂例会一本に絞られました。先生が平成6年に引退された後も、会場を提供されていた宮永さんのご厚意で会は存続しました。 そのホツマ赤坂研究会で、私のホツマ研究に鞭が入れられ…
本誌創刊から45号まで連載された「ホツマツタヱ」現代訳を、読み易く物語風に仕立て直した三分冊の第一冊目が、かざひの文庫という新進気鋭の出版社から刊行されました。「八十続五十橿八桑枝の如く」と祝詞でも永続の聖数とされる80号を刊行した本誌。その…
奥駿河湾の三津浜に淡島という神南備型の秀麗な小島があります。淡島(あわしま)。古くから漁師や廻船業者に崇敬されていた淡島神社が山頂に鎮座しています。ご祭神は弁財天さま。 霊峰富士を仰ぎみる絶景の地にあり、アマテル大御神にそっと眼差しを向ける…
古神道の研究者でアワ歌普及にご活躍の宮崎貞行さんは、平成二十四年十一月二十六日に、山梨県河口湖町の由緒ある富士講御師の家、梅谷本庄家を訪ね、その屋根裏部屋に秘蔵されていた多数の古文書を実見しました。その中のひとつが『秘書 神代和字 全』と題…
本年は、ホツマツタヱの写本が再発見されて半世紀の節目の年である。当時、『現代用語の基礎知識』の初代編集長であった松本善之助翁が、趣味の古書探索で神田古本屋街に渉猟していたときに、その奇跡的な出会いがあったときく。 以来、「ザルで水を汲む」如…
夢枕獏さんの小説(をもとにした漫画)が映画化された「陰陽師」がヒットして安倍晴明ブームが起きた頃から十五年。「恵方巻き」はその頃から商品化されましたが、近頃は珍品氾濫で大量の売れ残りを生じ、どうも「純和風」でない光景が印象に残ります。 明治…
大倉精神文化研究所という公益財団法人があります。「東西両洋における精神文化及び地域における歴史・文化に関する科学的研究及び普及活動を行い、国民の知性及び道義の高揚を図ることにより、心豊かな国民生活の実現に資し、もって日本文化の振興及び世界…
現存する最古写本を残した和仁古安聡は俗名を「井保勇之進」と名乗っていました。池田満氏の解説によれば、井保家は伝教大師最澄の頃に遡る旧家とされますが、果たして、井保の名前はどこから来たものなのでしょう。 そもそも後の比叡山建立の根本仏(秘仏)…
松本善之助翁による『奇跡の昭和再発見』から五十年。本誌編集部では、その節目となる本年を「ホツマツタヱ研究と普及の飛躍年」にすべく企画準備に邁進してきました。 本誌創刊号からの連載である今村聰夫氏の現代訳をさらに初心者向けに書き下ろしていただ…
アメリカでトランプ大統領が誕生しました。就任演説をつらつら読むと、平易な言葉遣いで祖国第一、庶民第一を宣言しています。真っ当な主張に思えました。歴史上「強権主義者」は、たいがい「偉大な」「神聖な」という飾り文句で「虐げられた者たち」を奮い…
いときょう氏を団長に結団された「ホツマツタヱを学ぶ会皇居勤労奉仕団」が、皇居と赤坂御用地の清掃奉仕に参上致しました。如月の第二週、まだ厚手の外套を着込んでいた頃です。 赤坂御用地ではみぞれまじりの雨に見舞われましたが、皇居奉仕の三日間は空に…
当誌の編集会議は毎月、明治記念館「金鶏の間」で開催していますが、議論百出、汲めども尽きぬホツマの魅力を語り明かします。前回の話題は本号で焦点を当てた大御神とイセ、イサワの謎解きでした。 イサワの「辞解」は那辺に、との問いにS氏は、「イは【風…
霊峰冨士の登拝シーズンもまもなく終わります。金剛杖を手に日本一の山頂を目指す登山者たちは、「信仰」として山を登っているわけではないのですが、大多数の方々が目的とするひとつは「ご来光」。(不思議なことに)ご来光に自然と手を合わせるのです。山…
ホツマツタヱには獲物や恵みを意味する「サチ」という語句はありますが、「しあわせ」という語句がありません。「あわ」を結ぶという意味ともとれる「幸せ」は、極めてホツマ的な表現とも筆者には思えるのですが、文献では見いだせません。代わりに、「さひ…
ホツマツタヱにおける「ミチ(シ)カウタ」の用語は、二例しかありませんが、現代の「短か歌」すなわち五七五七七の三十一文字短歌とは違う意味づけであったようです。このことについての考察は、この「ホツマの論点」106号で多少触れていました。ミチとミシ…
富士山麓の浅間神社は「センゲン」を正式名称にしているところが殆どですが、笛吹市の甲斐國一宮浅間神社と河口湖の浅間神社は「あさま」が正式呼称です。あさま神としてコノハナサクヤ姫を祀ると共にニニキネ神を奉祭します。式内名神社(甲斐國八代郡)の…
今年は戌年ですが、イヌと同様に人の暮らしに太古より関わり深い家畜がウマです。ホツマでは馬に関する記述に一アヤ丸ごと割き、乗馬法が「君臣」にとって重要な技術であったことを物語っています。 家畜の宿命ゆえに、馬には不断の品種改良圧力がかかり、特…
ご維新の激動期にヲシテ文献の散逸を憂慮し、貴重な写本を残した高島の旧士族、野々村立蔵(水尾神社祠官)は、容聡本を西万木の日吉神社に奉納するにあたり『秀眞政傳紀 傳來由緒書』を記し、この文献の伝来の経緯を後世に伝えました。その文中に、伝教大師…
「ヲシテ関連文献」発掘のために比叡山延暦寺の叡山文庫に特別な許可を頂き、古文書の閲覧を進めています。日本仏教最高学府のひとつたる天台宗お膝元だけあって、「ヲシテ」は見つからないまでも、様々な発見に驚かされます。天照大神を「大日霊貴(ウヒル…
ホツマ二十一アヤは長編。連載中の『わたしのほつまつたゑ』(清藤)は、今回その後半の解釈となります。地鎮祭や棟上祭の原初が明かされます。楼門や鳥居、羅生門の語源や深意が、次々と語られて、息つく間もない驚きの連続となるアヤですが、「大国主」の…
戦後の縄文ブームは、1952年の岡本太郎「縄文土器論」からの第一次、1972年の縄文杉年代推定からの第二次、1994年の三内丸山遺跡栗柱発掘からの第三次と続き、今に至っています。この夏には、東京国立博物館に国宝六点が集結し、映画『縄文にハマる人々』も…