縄文叙事詩ホツマツタヱ

検証ほつまつたゑの編集長とらさんがリリース

【ホツマの論点】 ほろほろと泣く <75号 平成26年10月>

 号泣会見で世界的に(?)有名になった、兵庫県議会議員の野々村某氏は朝鮮系人ではないか、という噂が巷で飛び交っています。

 原因は、会見の途中で飲んだコップの水の飲み方が、いわゆる朝鮮飲みだったということのようです。

 確かに、そう言われれば会見のVTRでは、口元を隠すようにコップから水を飲んでいますが、これをもって朝鮮系人かどうか、ということは私にはわかりません。

 しかし、あの泣き方は、普通の日本人には違和感があったことは確かでしょう。
本来、日本人は人前で声を張り上げて泣くということはしません。

 日本人の泣き方の記述は、ホツマツタヱ28アヤに記載があります。

『また問ふ 「汝治を棄つや」 ほろして曰く・・・』(鏑本483ページ)

 文中の『ホロ』を鏑氏は、「心が動揺して」と訳注をつけていますが、訳の根拠はありません。

 私は、この「ホロ」は、わからないように隠す、というのが原義ではないかと考えています。

 これは、朝間ひらく氏の説でもありますが、合理的な説明が可能です。
ホロは幌で、中の物が見えないように覆うカバーを言い、幌馬車、車の幌などというように使われています。わからないように隠すのが、ホロの意味だと考えると。ホロして曰くは、静に涙を流して、という訳になります。

 私たち日本人は、「ホロホロと泣く」という言葉を感覚的に理解しています。
顔を下に向けて袖で覆い、声を出さず肩を震わせて泣く、という場面を誰もが想像することができるでしょう。

 震災後、凪いだ海を見つめて、まだ帰らぬ家族を思い静に涙を拭う人々。
海に向かって泣き叫ぶ人の映像は、少なくとも私の目には触れませんでした。
これが日本人なのです。

 誤解の無いように言っておきますが、私は泣き叫ぶことが悪いとも良いとも言っていません。

 しかし、ホツマから脈々と流れる日本人の血(DNA)には、泣き叫ぶという選択肢が存在しないのです。

 言葉はそんな文化を反映して成立するものですから、ホロホロ泣くという言葉の源も、ホツマ28アヤから読み取れると思うのです。

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平成26年のこの秋号には、ホツマの論点が掲載されませんでした。ですので、ここに掲げた小論考は、幻の「論点」です。

ホツマツタヱは、やまと古言の宝庫であり、それらの古語をいろいろ味わうと、我々日本人の精神性や文化性の特色が、実によく浮かび上がってきます。

普段の日常生活では、当たり前すぎて自己認識できない「日本人のキモ」が、解明されていくようで、奥深く、考えさせられます。縄文時代に形成された「キモ」が、現代に生きるわたしたちの在り方を造っているのです。

何故これがホロホロ鶏(鍋)なのか、説明はないけど、今夜食べようかな。