縄文叙事詩ホツマツタヱ

検証ほつまつたゑの編集長とらさんがリリース

【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜  ⑩「むら」「さと」「まち」「いち」 <97号 平成30年6月>

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 前々号で「くに(州)」「あがた(県)」「あれ(郷)」について、前号では「あがたぬし(県主)」「くにつこ(国造)」「つうじ」「よこべ」「めつけ(目付)」などを解説し、ホツマにおける行政区画の階層や行政官の分掌などを読み解いてきました。これらの精緻な分析が、ホツマ時代の中央と地方との関係性を浮き彫りにし、また、その後の外来統治制度との[違い]、あるいは[混ざり合い]を考察する貴重な視座を与えてくれます。

 本号では、その他の「区画」用語を概説します。

 ホツマ時代の行政区画階層は「州・県・郷」であるわけですが、その下には「むら(村)」もしくは「さと(里)」が存在します。ただし、村と里には、中央から観た[馴染み度合い]に差異があるようです。例えば「さと」には、中央の威光が確実に届いている表現があります。

『さとの名も をきなかもりも 賜まわれは』ホ8
『目黒と そのさとお 名付けたまわる』ホ40

それに対して、「むら」には、単に人びとの群れている様を表現し、従順とは限らない性質を嗅ぎ取っている感じがただよいます。

『との道お うけて治さむる ちゐもむら』ホ23
『軍率き征く(略)峰越え宇陀の うかち村』ホ29
『たまきなむらの 土蜘蛛の つつらお殺し』ホ38

 ちなみに「さと」も「むら」も、規模は厳密ではなく、「あれ(郷)」と重なる場合もあるようです。つまり、[群がる人びと]たちの「むら(村)」が[さと(諭)されて]治められると「さと(里)」となり、発展して行政単位としてまとまると[在るべき区域]としての「あれ(郷)」となる、そんな道筋が見えてきます。

 次に「まち」ですが、ホツマでは距離面積の単位としての「町」はありますが、地域区画としての「まち」用例はなく、代わりにあるのが「いち(市)」です。
(*距離/面積の単位。1町 = 10畝 = 100往 = 360歩 ≒ 108m。)

 認識された区画内に人びとが正当な理由で寄り集まっているイメージです。現代語での「まちなか」に近く、人びとが交流している中心地を指すようです。ただし、ホツマ時代にはいわゆる「市場」としての用例は明示されません。

『ナガスネが 我おたつれは いち騒ぐ 故にハラミの 親王ふれて』ホ28
『おれかれの をとくまつりお 箸塚に 成せば輝く のりのいち』ホ34
 現代同様「いち」に世論が反映されます。(つづく)
(駒形「ほつまつたゑ解読ガイド」参照)

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ホツマ時代の行政機構や行政単位を言葉で観ることによって、国造りの仕組みを探ってきました。「村」「里」「町」「市」など、現代でもひとびとのふれあいの舞台となる「まとまり」の言葉は、当然にしても縄文時代から存在していました。

「村おこし」「里かえり」「町づくり」「にぎわい市」など、民が直接かかわるコミュニティーは、今日でも社会参加のたいせつな現場ですが、その語源を考察すると、微妙な違いも感じられてなかなか味わい深いものがあります。

70年代のヒッピー文化を思い出させる、「新しい村」づくりの試みが、全国的に拡がりつつあり魅力を感じる部分もありますが、「村」を名づけるところには、やはり縄文時代からの「血」を受けつぐところがあるからでしょうか?

銀ちゃん、かっこいいですね ↑ 

あまり関係ないけれど、 ↑ 大映のなつかし『大魔神』を期間限定公開していたので昨晩観てました。観れて嬉しい。日本人が下剋上を嫌うこと、日本人の自己犠牲精神が、ストレートに表現されていて清々しい。しかし、昔の役者は、男も女もイケメンで迫力有るなぁ。

 

 

(とらさんは、no+e ブログでも投稿しています)

とらさん原田峰虎|note