縄文叙事詩ホツマツタヱ

検証ほつまつたゑの編集長とらさんがリリース

【ホツマの論点】 ミチ(シ)カウタは相聞歌の意味か <132号 令和6年4月>

 ホツマツタヱにおける「ミチ(シ)カウタ」の用語は、二例しかありませんが、現代の「短か歌」すなわち五七五七七の三十一文字短歌とは違う意味づけであったようです。このことについての考察は、この「ホツマの論点」106号で多少触れていました。ミチとミシのヲシテ表記の揺れもあり、なかなか悩ましいところです。
ですが、二例に共通するのは、(甲)長めのウタであること、(乙)男女の掛け合いのウタであることと云う共通点があります。一〇アヤのシタテル姫とアチスキ高彦根の掛け合いの五十五音歌と、四〇アヤのヤマトタケとミヤヅ姫の掛け合いの六十七音歌が、ミチ(シ)カウタです。

 さて、古来、本朝の歌謡には、四季の歌や旅の歌(雑歌)、哀惜の歌(挽歌)、恋歌や別離歌(相聞歌)といった大きな区分けが存在します。そういった観点から考えると、ミチ(シ)カウタは、男女が掛け合う、恋歌であったと考えることが出来るのではないでしょうか。一〇アヤの下照姫と高彦根の歌も、多重に意味を重ね合わせた最高級の恋歌と読み解くことが出来ますし、四〇アヤの日本武尊宮津姫の歌も、恋心とお互いへの尊重と、そしてその裏に哀しい予言を含む絶妙な恋歌に仕上がっています。

 ミチカウタなのか、ミシカウタなのか、ヲシテ表記に揺れがあります。一〇アヤ葬祭場での出逢いの歌は、ミチカウタと表記され、四〇アヤの遠征を終えた再会の歌はミシカウタと表記されています。

 それらのことを理解した上で、その語意を考えてみると、
「ミチカウタ」→「身」も「チ(血/霊/心)」も男女お互いに「通う」歌
「ミシカウタ」→「実/真心」を「確と」「通わ」せる歌
 などと、捉えてみることは如何でしょうか。

 「ワカ」とは、一アヤにおいて天地の巡りに合一して命をワカ(若)返らせるウタであるとワカ姫は教えていました。清藤氏はワ「地」に(歓喜を)「カ(返す)」歌と解釈されています。ホツマツタヱは、陰陽和合、伊勢の道を高らかに詠う物語なのです。

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さて、最新号(R6.4.15)です♡ ミチカウタの意味について考えた論考となっています。ホツマツタヱは、全体が五七調の叙事詩であり、歌物語なのですが、そのなかに沢山の歌謡が記述されています。

この歌謡は、一部は日本書紀古事記にも記載されており、和音も推定出来るので、その違いを比較検討することが出来ます。比較検討すると、ギナタ読みや不詳故の誤訳が記紀文書にあぶり出され、ホツマツタヱの真書性を証明する重要な鍵にもなっています。ホツマが漢訳され、さらに引用編集された経緯が想像できるのです。

また、歌謡は、神々の「肉声」である故に、その生身のお気持ち、お考えがよく現されていてとても興味深いものです。なかでも、男女の相聞歌は、美しく、どこか哀しく、愛に溢れていて読み返すわれわれを深い感動へと導きます。

万葉の歌は、ホツマの心を今に伝える美しくも素直で、天地とともに生きるあり方がちりばめられていますね。

 

(とらさんは、no+e ブログでも投稿しています)

とらさん原田峰虎|note