縄文叙事詩ホツマツタヱ

検証ほつまつたゑの編集長とらさんがリリース

【ホツマの論点】 陰陽世界観とホツマツタヱ <85号 平成28年6月>

 夢枕獏さんの小説(をもとにした漫画)が映画化された「陰陽師」がヒットして安倍晴明ブームが起きた頃から十五年。「恵方巻き」はその頃から商品化されましたが、近頃は珍品氾濫で大量の売れ残りを生じ、どうも「純和風」でない光景が印象に残ります。

 明治五年に廃された「陰陽道」は、既に江戸期において変容され、室町期以前の姿ではありませんでしたが、そのルーツは何処にあったのでしょう。現代人の印象では、やはり陰陽道なんぞ、そもそもが「純和風」でなく、せいぜい『古代中国大陸からの道教密教の伝来思想を日本独自に発展させたもの(だった。過去の遺物!)』という理解が一般的かもしれません。

 しかしながら、「風水」は今でもブーム。陰陽師は今日不在ですが「方位」や「暦」に対して日本人はどこかにこだわりを捨てきれない一面があるように思えます。「金神」や「歳徳神」あるいは「八将神」と漢字で書くと「純和風」とは思えないし、「節句の年中行事」はすべて大陸伝来習俗と誰もが思い込んだまま。ですが、思い込んだまま、今なお、何故か「頼りに」していた。ところが、その根っこは、想像を遙かに超えて、古かった。すべて具体的に、縄文叙事詩に記述されていたことが、ようやくわかってきたのです。

 ホツマツタヱを繙けば、古代縄文の世界観が「陰陽思想」で完全に成り立っていたことに驚きを禁じ得ません。天地を結ぶ陰陽世界観は、調えられ完結した論理を持っていました。宇宙の組成も、女男の性別と役割分け、方位や季節概念等はもちろん「ことば」そのものにも陰陽世界観の裏打ちがありました。「あ・い・う・え・お」その各音さえもが、陰陽の申し子とホツマは教えているのです。

 もともと我が国にあったと思われる「陰陽世界観」は、けれどもその後、外来思想の強い影響に曝され「習合変容」されてきたようにも思えます。その絡まった糸をほぐしていくことは、もはや不可能なのでしょうか。本号では、「メヲのメグリ」に違った角度から光を当てて読者と共にアプローチしてみたいと思います。

 陰陽道のルーツは、さて、何処にあるのでしょうか。

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さて、先週金曜日に映画『陰陽師0』が公開されて話題となっているようです。安倍晴明平安時代の人物ですが、陰陽寮はそれ以前から宮廷の重要技官部門とそして機能していました。その陰陽学、陰陽道とは、何がルーツなのでしょうか。

陰陽五行説が根底にあり、仏教(なかでも密教)の伝来とともに、シナから日本に伝来したものという理解が定説ですが、否です。陰陽五座の世界観は、我が国がそもそもの発祥であり、シナではそれを政治戦略思想的に変異改造していたのです。

けれども、ヲシテ文献に語られる陰陽五座説は、その後の日本では禁書化、禁学化されてしまったために、奥義を求める日本の探求者達は、シナの文献を貪り読んだのでした。だが、都を遠く離れた秘境には、禁書化された智慧を伝える「道のもの」達がいて、その霊脈はシナの道教ともつながっていたわけです。

表紙画像は、本号で柿ノ本人麻呂の投稿があるため。陰陽道とは直接的には関わりありません、、、

映画の予告編↑ うちのカミサンが観に行こうと云ってました

映画の呪術解説? まあ、そーなんですかって感じ

で、その呪術を監修した作家加門七海さんの解説。それなりに面白い。

これは、国立歴史民俗博物館の展示記録映像で、良く纏まっていて理解が深まる↑

そして ↑は、歴史民族博物館の同展示広報映像。広報の意味はゼロ!だが、貴重な画像を撰集しているので、役に立つ。

最後のこれ↑ は、BS11の期間限定公開放送。加来耕三さんが、明るく解説してくれていて、また、安倍晴明の裏表が知れて興味深い。ただし、今月末までの限定公開です。お早めに。

(とらさんは、no+e ブログでも投稿しています)

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