縄文叙事詩ホツマツタヱ

検証ほつまつたゑの編集長とらさんがリリース

【ホツマの論点】 熱田神宮とヤマトタケ <116号 令和3年8月>

熱田神宮主祭神は、ご神体である草薙剣であり、その本体は天照大神であると云うのが現在の神社本庁の見解です。伊勢の神宮のご神体が八咫鏡であって、本体をやはり主祭神たる天照大神と看做すことに準じています。古来「尾張造」と云う建造法で建てられていた社殿が、ご維新後に伊勢神宮と同じ「神明造」に改められたのも、その見解によるものです。

しかしながら、ホツマ伝愛読者であれば、熱田大神と云うご神名がヤマトタケの尊称であると知っています。実は、「より古い『尾張国風土記逸文には、日本武尊が宮簀媛に草薙神剣を手渡す際に自らの形影(みかげ)とするようにと言い残したとあり、奈良時代には日本武尊を草薙神剣の正体とする見かたがあったともいわれる」(ウィキペディア)と伝え、『延喜式』の巻三神祇三(臨時祭)や巻九神名帳上に「熱田神社一座」とあるように、熱田神宮はまさしく熱田大神=ヤマトタケを祭る神社に他ありません。

ちなみに、熱田社のかつての建築法である「尾張造」とは、真清田神社(愛知県一宮市)、津島神社(愛知県津島市)、尾張大国霊神社(愛知県稲沢市)等に観られる、「本殿(後)、祭文殿(中)、拝殿(前)を回廊で繋いだ左右対称の様式で、尾張地方独特の建築様式」なのですが、この建築様式は、河口浅間神社などにその古式の姿がとどまる浅間神社の建築様式です。

『サカオリの 宮は昔の ハラの宮 なお永らえり 我が願ひ 写して姫と 楽しまん』ホ40とある如く、ヤマトタケがアイチタの地にハラミの宮(富士山麓の宮)をモデルに建造しようとしたお宮が熱田神宮の原型なのですから、浅間社と似ていたのはホツマ伝愛読者には十分納得できるところです。

さて、それほど確実な伝承が、なぜ「消されて」しまったかと云う謎は、極めて興味深いところです。これは、ヤマトタケという風雲児の消失がホツマ時代の終焉につながってしまったと云う悲劇と、その後それでも地下水脈をつなげていた尾張一族という日本史の重鎮が徳川の崩壊とともに歴史の舞台から退場したからという、二重の悲劇によるものと筆者は考えています。

アマテルとニニキネを「陽の柱」とみると、「陰の柱」としてホツマ伝を彩るソサノヲとヤマトタケ。その魅力と謎を本号では追い求めます。

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ヤマトタケの謎を追い求めた116号。アマテルとニニキネの「彼岸」にあるソサノヲとヤマトタケ。歌を愛し、敵を心服させ、姫君を魅了した英雄ヤマトタケの美しくも哀しい物語は、ホツマツタヱの詩情を最も美しくふるわせているのです。

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