縄文叙事詩ホツマツタヱ

検証ほつまつたゑの編集長とらさんがリリース

【ホツマの論点】 天孫紀元と謎の179万余年 <117号 令和3年10月>

令和三年は、天孫紀元1795154年と云われても一般人には???でしょう。これは日本書紀の神武紀にある「皇祖皇考、乃神乃聖、積慶重暉、多歷年所。自天祖降跡以逮于今一百七十九萬二千四百七十餘歲。」から計算された瓊瓊杵尊天孫降臨を紀元とする年号で、一部古史愛好家が使用する我が国独自の「紀元年」だそうです。

「一百七十九萬二千四百七十餘歲」は「謎の179万余年」と云われる暦年で、日本書紀以外では、『倭姫命世紀』『神祇譜伝図記』、北畠親房の『神皇正統記』、両部神道系の秘書『天地麗氣記』にも記述されている謎の暦年であって、これまで多くの学者文人を悩ませてきた数字です。かの本居宣長上田秋成との論争にてこの暦年が争点のひとつとなり、かなり苦戦しました。

日本書紀の注釈者も、前出の古書も、この暦年は天孫ニニキネに由来する暦年と意識しており、例えば、『倭姫命世紀』では、瓊瓊杵尊318,543年、彦火火出見尊637,892年、彦波激武鸕鶿草葺不合尊836,042年として、小計1,792,477年と記述し、これが1,792,470余り年に合致すると理解しているようです。

古代史ファンのネット研究発表では珍説続出。いろいろいじくった後で何故か900年を差し引いたり、平方根を計算したり、天武天皇即位年にこじつけたり、シナ暦の改暦と関連付けたり、それはもういろいろです。

さて、ホツマ研究者も、29アヤに同一の暦数字が記述されるので、これまでも多くの方々がその解明に取り組んできました。古代史通説の「天孫由来」に惑わされる方もいらっしゃいましたが、「鈴枝穂暦年」を手がかりに、この暦年が「天孫ニニキネではなくアマテル大御神に由来する暦年」であると思い至る方が次々と解明を進めていきました。昨年帰幽された千葉富三氏の暦年解釈は、その劃期をなすものでした。

アマテル由来としても始点は即位年なのか、誕生年なのか、はたまた終点はどこで区切りとなすのか。さらに、この長大な暦年数字と実年数は、果たして整合させることが出来るのか、その計算根拠はどこにあるのか。これらがもし解明されたら、古代史学上の「多歴年所」の謎解きとなります。
今号の「鈴暦解明試論」(宏道氏)は、また新たな暦年解明の手がかりとなるでしょうか。 

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日本古代史の謎の「179万余年」は、中世の神道学者、江戸期の国学者、そして現代の古史学家をも悩ませる、謎の暦数字です。一体何故、そんな超古代を語るのかと不思議になる「古代」(?)です。

ですが、ホツマの鈴暦を考察すれば、実は簡単にその謎が解明出来たのでした。また、ここから逆に、一見荒唐無稽なホツマ暦の仕組みがわかってくるのです。

(とらさんは、no+e ブログでも投稿しています)

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