縄文叙事詩ホツマツタヱ

検証ほつまつたゑの編集長とらさんがリリース

【ホツマの論点】 本庄家文書は解読の鍵か、はたまた迷宮の入り口か <83号 平成28年2月>

 古神道の研究者でアワ歌普及にご活躍の宮崎貞行さんは、平成二十四年十一月二十六日に、山梨県河口湖町の由緒ある富士講御師の家、梅谷本庄家を訪ね、その屋根裏部屋に秘蔵されていた多数の古文書を実見しました。その中のひとつが『秘書 神代和字 全』と題された写本です。氏は早速、池田満さんと千葉富三さんに原文調査を依頼し、その結果、既に発見されていた残簡文との照合からミカサフミの未発見部分であると判明。原文はデジタル撮影画像データとして拡散され、関心を寄せる多くの研究者の努力により解読が進みました。

 それから三年。前号につづき「ウタ特集」である本号では、この本庄家文書に注目します。

 ナギナミ両神の御製なる「アワウタ」を読み解くこのアヤは、「ネコヱ」の深淵を解明し、宇宙の生成と生命の神秘に迫る哲理を開陳する貴重な文書です。解読できれば、両神の柱巡りのアワウタと四十八音のアワウタの謎が解け、「筑波」や「丹生」の難語の意味が判明し、我が国固有の「陰陽五(音)説」に光を当てるものとなるに違いありません。

 しかしながら、写本の過程で誤写が生じ、また、一部欠落の可能性もあり、そうでなくとも難解なこの文書の解読は一筋縄ではなく、解釈にはさまざまな「ゆらぎ」が研究者の中にあります。とはいえ、さまざまな「自説」「異論」を合いヤワしていくことで、「迷宮」を抜ける道が見つかるはずです。既に当文書を取り扱った刊行本もありますが、「解明できた」と悦に入ることは禁物でしょう。

 本庄家文書の「論点」は、主なところで、 一、この文書は溥泉伝本にある「和歌宇咜紀」であるのか「阿倭歌」なのか、はたまた、どちらでもないのか。 二、柱巡りウタの「とね(め)のみつね」である「あいぬ」と「あひき」の解釈。 三、そこに関連する「なかれき」と「およくき」の解釈。(因みに本号に寄稿の駒形氏は、「流れ際 ケリなお良くき」として説を立てられています) 四、「やつのかたちに むつのりの」における「むつのり」の解釈。 五、そこに関連する「そゑうた」「かそえうた」「たとえうた」「ゐわひうた」の解釈などですが、今後さらに論議を呼ぶテーマが浮上するかも知れません。

 いずれにしても、本庄家文書は希望の光です。哲理解読の光であるのみならず、さらなる写本発掘への光でもあります。本号の特集がより深い「探求」へのきっかけとなることを期待いたします。

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再発見されたヲシテ文献のなかで、最新の発掘である河口湖の本庄家文書について考察した小論考です。富士御師の旧家に埋蔵されていたこの古本書は、「ウタ」「やまとことのは」を考究する上で、極めて大切な示唆を与えてくれるものです。

ところで、ネット上では「口伝」をまき散らす方々が散見されますが、「口伝」とは、実際どのように口伝されてきたのでしょうか。切り紙、すなわちメモ書きがあるのならそれを解釈する口伝も成り立つでしょう。とらさんは不二行者ですが、山伏との付き合いもあり、「切り紙」と「ロイ」、つまりメモ書きと相対口伝の行法伝授という作法を身近に知っています。メモ書きのない口伝は、基本的に担保がありません。

もしも、切り紙のない口伝があるとしたら、それは叙事詩のような「ウタ」として伝えるしか正確な伝授はあり得ないと考えます。太安万侶かのごとく。しかしその場合も、実際にはイタコの祭文や不二行者のオミヌキのように筆記メモが残されるものです。

タケウチの口伝も、イズモの口伝も、極めて偽作にみちています。口伝を主張するのなら、切り紙を提出するか、ウタの原型を提出すべきでしょう。

はーい、と云うわけで 口伝四連発 ↑
これらの方々は、魅力的であり、日本の覚醒を願って活動している(された)ことは大切なお働きであると思います。しかし、

エビデンスに欠ける

のです。
口伝のネタ元が皆無だとは云わないのですが、「ネタ元」と「思い込み」との線引きが曖昧で、そこを誤魔化してそれぞれ「後世の独自の」解釈を押しつけてはいないでしょうか。

とらさんは、伝えたいのは「ほつまつたゑ」「みかさふみ」「ふとまに」の<原文>です。その(わたしの)解釈は、別に伝わらなくても良いのです。縁のある方が、参考にして下さって、その方独自の解釈、愛読をして下さればそれで良いと考えています。

 

(とらさんは、no+e ブログでも投稿しています)

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