縄文叙事詩ホツマツタヱ

検証ほつまつたゑの編集長とらさんがリリース

【ホツマの論点】 ひのもとやまとの甦り 〜伝ゑに極みなし~ <100号 平成30年12月>

 夏から秋の台風では各地に被害が出ました。神社でも樹齢豊かなご神木が倒れるなどの悲しい知らせが相次ぎました。日頃、そのご神木に合掌なさっていた崇敬者の悲しみや如何ばかりと思いを致します。

 ふと考えてみたのですが、神社の社殿とご神木、そのどちらがより貴重なのでしょう。実は、ご神木が老木となり倒れると社殿を傷つける可能性があるからと、ご神木を切り倒すという判断が、今の神社界には、無いとはいえません。

 ですが、考えるまでもなく、社殿は再建できても、ご神木は(お金があっても時が巡るまで)甦らせることは出来ません。では、ご神木が倒れたらその神社はお終い、なのかと云うと、そうではありません。崇敬者に「記憶」があれば、残された「切り株」にも祈りを捧げることが出来ます。つまり、本当に大切なのは「祈り」。どれほど偉大な建造物が残っていても「遺跡」が、所詮廃墟でしかないのは「祈り」が、そこに失われているからです。

 では、「祈り」があれば、目に見えるモノ、社殿やご神鏡、ご神木などは一切不要なのか、と云えば、これも間違い。祈る対象に寄り添うには、「依り代」が欠かせないからです。実は、聖書や経典も「依り代」と看做せます。

 さて、本誌はホツマツタヱをはじめとするヲシテ文献を検証し研究する同人誌です。月日を重ねて、はじめの頃とは格段に深い読み解きが進んできました。優れた先覚者や骨身を惜しまぬ寄稿者、熱心な購読者のお蔭です。難解な原文の隠された本当の意味が少しずつ明らかになってきています。けれども、再びふと考えてみたのですが、「正しい(であろう)解釈・研究」と「原典・原文の継承や普及」と、そのどちらがより貴重なのでしょう。研究と継承は、もちろん両輪なのですが、数奇な伝承を経た奇跡の書です。研究が一時的に途絶えても原文が護持されれば、命は甦ります。逆に、「解釈完了、意味は完訳された」とうそぶいて原文がなおざりにされたら危険でしょう。ひのもとやまとの甦りは、「伝ゑ」にこそ鍵があるのです。

 本誌一〇〇号を記念して、ホツマ出版会では、「ホツマツタヱ原文テキスト(仮称)」の刊行を決意しました。ヲシテ表記とともに五七調の読み下し文を付し、学術論文の「原文引用」に堪えうる水準で、勉強会の教本に便利なテキストを目指します。どうぞ、ご期待下さい。

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小誌発刊100号記念号の巻頭文です。ホツマツタヱなどのヲシテ文献には、解釈に苦渋するところもあります。ゆえにその弛まぬ探究が大切なのですが、より以上に大切なのは、原書を伝えていくことではないかと、とらさんは考えています。

再発見から50年を経て、ようやくアカデミズムにも研究者が出始め、大手出版社の古典研究シリーズにも登場するようになった(表紙画像)ホツマツタヱですが、これまでも何度も焚書・禁書化され、埋もれた歴史を背負っています。全人類にとって貴重なこの書を、しっかりと守り伝えていきたいですね。

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