縄文叙事詩ホツマツタヱ

検証ほつまつたゑの編集長とらさんがリリース

【ホツマの論点】フトマニの読み解きに謹み畏こみも曰す <101号 平成31年2月>

 平野新吉先生が小誌に連載ご寄稿下さる『フトマニ』を読む。本号に掲載された筮歌を拝読して、平成三十一年新春号の冒頭筮歌が、「イヨロ」の歌で佳かったと胸をなで下ろしています。

 アマテル大御神が選者となり自らご添削なさって撰集された百二十八首の占歌、『フトマニ』。それは、古典文学の通説である「鹿の骨や亀の甲羅を焼いて占う上古の占術」とは別物で、天地宇宙の組成を平面的に模写した縄文時代の「時空概念図」に依拠した、精緻な陰陽吉凶判断法則でした。百二十八の占歌は、予め定められた吉凶の度合い、ならびに言霊の性質を表現すべく詠まれた高度な読み込み歌であり、大御神の添削により各々命を吹き込まれたものです。いわば、歌ひとつひとつが、「天神のみことのり」ともいえる占歌なのです。

 いにしえの神々(施政者)は、重要な局面に当たって、潔斎した占者に何らかの方法で歌を選ばせ、その歌意を読み取って、進むべき道を判断してきました。施政決断の道標となったのが、このフトマニです。

 畏れ多くも御世代わりを迎えることになる本年の、年明けの本誌掲載歌は、大吉の歌、二十七番「イヨロ歌」でした。その歌意は、(歴代の天君と比すれば、一見)頼りなげに見える若君であっても、(その本質は)紛れもない尊貴な種であり、陪臣や皇太子が補弼して、(心ひとつに支えることにより)いよいよ皇運は弥栄するのである、というものです。

 ありがたいと、思いつつ次の二十八番歌を読むと、これは、「小凶」の歌です。歌意には、朝廷にとって危険なのは強烈な悪風ではなく、正しいひかりをさえぎる、妖しい霞なのである、と読めます。さらに、二十九番歌、三十番歌と読み進むと、君が宮中の賊に惑わされ、もしも妃を疎んじたときの結末、あるいは、妃がよからぬ思いに執着された場合の悲劇をフトマニは告げています。恐懼しひれ伏すばかりです。

 本来は、宮中に秘伝され、天下泰平と万民豊楽を慈しむ天君ならびに重臣にのみ紐解かれていたのであろう本伝を、今こうして読み解き、親しみ奉戴することの重み、もったいなさを痛感します。少なくとも本伝を手に取るときは、深く自省し、世のため人のために身を捧げる気持ちで学びたいと思う新春でした。

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御世の代わる歳のはじめの巻頭小論です。小誌に連載しているフトマニの歌について書きました。

フトマニは、世界最古級の占術を読み解いた勅撰歌集です。もともとトヨケ大神が世界構造をモトアケ(いわゆるフトマニ図)に表現して、そこから卦を引き出していましたが、アマテル大御神が、さらに施政者にとって常用しやすいように註釈をつけました。その註釈が、歌集となったものです。

いわゆる東洋占術のすべての源流となるものが、このフトマニと、ホツマのヱト暦、そして四方九門の吉凶占いです。

 

(とらさんは、no+e ブログでも投稿しています)

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