【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㊲「みもすそ」 <122号 令和4年8月>
ホツマ辞解⑰で「かも」「あも」「みたらし」を取り上げました(104号令和元年8月)。「上下」をへだてなく慈しむ心がけが、「斗の教ヱ」の根幹にあるのですが、それを表現する重要語句が「(み)もすそ」です。
天縫(ぬ)うなる 御衣(みは)の所縁(ゆかり)は
清御師使(サヲシカ)の 裳裾(もすそ)に満つる
恵み縫うなり 【フトマニ5番筮歌 大吉の卦】
というフトマニ歌や、
『裳裾の 民を撫でつつ サオシカの 清きに尊は ありと言えき』28文
『神裳裾の サコクシロ内 改めて アマテル神の 内つ宮 八百仕ふ守 侍べりて ヒモロケ捧げ 天に応ふ』28文
『時に神 眼を開き曰く 汝よく 忘れず来たる 裳裾よ 乞ふはこれぞ と 授けます』28文
『昔ハタレを破らんと 禊なす時 神の裳の 岩に懸かりて ひた引けば 滝落ち下る サクナダリ』28文
『シムミチ破る 器得る 穢禊して 器得て 六ミチを破り 治む民 みな裳裾の 流れなり』28文
この如く、天地巻の最終章となる28アヤで重ねて解説される重要語句が「(み)もすそ」です。
なかでも、鏡の重臣アマノコヤネ逝去に際し、忠臣サルタヒコが馳せ参じ、コヤネを甦らせて教えを授けられた極意が、『「みもすそ」よ。』であったというのですから、意味深長です。居合わせた、或いは噂を聞きつけた神々が「一体どういう意味なのですか」と尋ねるのも無理ないことでしょう。
この重要語句を、限られた紙幅で解説することはムリですが、桓武天皇の勅により日吉大社の神山である八王子山に「ホツマツタヱ」写本を奉戴護持した最澄。伝教大師最澄が書き残した「山家学生式」に次の言葉があります。
「一隅を照らす」
最澄は続いて「悪事を己に向け、好事を他に与え、己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり」と諭しました。
ともすれば見落としがちな些細なものごと、ちいさな命の存在にたえず気を配り、足元、裾野の輝きこそが自身の輝きの源なのだと、アマテル神は確信し、大御心を発現されました。最澄は、その大御心を学びなさいと学僧に訓示されたのです。
ご皇室の方々が示す「寄り添う心がけ」は、もちろんその「みもすそ」精神の発露なのです。
(駒形「解読ガイド」千葉「甦る古代」参照)
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
伊勢のウチミヤの入口は宇治橋です。宇治橋の架かる川の名前は五十鈴川ですが、御裳裾川という別称があります。
「倭姫命が御裳のすその汚れを濯いだという伝説」がある故と、説明されますが、そんな浅い話ではありません。「みもすそ」は、縄文の教えの神髄である「斗の教ヱ」「天成る道」に至る重要な心構えを説く言葉であったのです。
「宮川の 清き流れに 禊ぎして 今も浄むる 我が身なりけり」と云う歌は、猿田彦神が伝える道歌ですが、サルタヒコ神が、生涯追い求めていた徳目が「みもすそ」でした。
「おおみこころ/大御心」と尊称して、ご皇室がわたしたち臣民に恵み垂れるお心くばりに、わたしたちは感謝するわけですが、聖上が、わたしたちに寄り添うお志が「みもすそ」です。そして、それは総べて人の上に立つ司、教師、親が、それぞれ我が身に置き換えて、実践すべき徳目なのです。
ホツマツタヱをの神髄をよくよく体得されていらっしゃった伝教大師さまが、「仏道」を学ぶ学徒に伝えたかったのも、この徳目であったのでしょう。
なんて素敵なご家族なのかしら
(とらさんは、no+e ブログでも投稿しています)