ヲシテ文献にみる数詞は、「ひ」「ふ」「み」「よ」「ゐ」「む」「な」「や」「こ」「と」が基本です。大和言葉の一、二、三、、、十として今日も「なんとなく」当たり前に数えられているとお考えの方、大間違いです。
実は、日本古来のこの数の数え方と云うのは、もはやヲシテ文献以外なくしては、もはや追究できない幻の言葉となっているのです。試しに手元の国語辞典や古語辞典をお調べ下さい。「ひ」「ふ」「み」どれひとつも(一部例外はあるものの)見出し語として取り上げられていません。特に古語辞典はひどい。
「ひ」は、「ひと= 一十/真全」の「ひ」。「ふ」は「ふたかみ」の「ふ」。「み」は「みくさたから」の「み」。どれも大切な和語であるにもかかわらず現在は黙殺されています。ネットで、「ひふみ」を調べると「ひふみ祝詞」がヒットして、「カルトな呪文」だとか、「ひふみ=危険」とかの括りで論じられています。石上神社で正統に伝承される古伝の祓詞であるにもかかわらず。
ホツマでは「ひと」「ふた」「みつ」「よつ」「ゐつ」「むつ」「なな」「やつ」「ここ」「とお」の二音語も記述されます。また、「と十」は「そ」とも記述されます。
ヲシテ文献での数詞には、跳ね文字(レ)が使用されます。また、その母音は、「え」母音が存在せず、「な」と「や」は、「あ」段の母音語です。
ちなみに「百」は、「も」か「もも」。「千」は「ち」。「万」は、「よろ」か「よ」。さらに「十万」が、「ます」。そして「億」は「はかり」。
特殊な数詞としては、ツヅ歌(連歌)に語源のある、「十九= つづ・つす」
「二十 = はたち・はた」
「三十九 = はな」
「五十九 = さつめ」
「七十九 = ふつめ」
「九十九 = つくも」などがあります。なかでも、ハタチ(二十)やツクモ(九十九)は、今でも馴染みがありますね。ハタチは、ツヅ歌で使用する折り紙が二十首で区切りとなるので「端断ち= ハタチ」からきており、ツクモは、満了の百首目につながるひとつ手前、すなわち「着く百= ツクモ」に由来する数詞です。
縄文人は、数の神秘にこだわりを持っていたようですし、その「音感」にも独特の感性を発揮していたように思えます。「和歌」の三十一文字にも神々の巡り合わせを感じ取っていたようです。
(駒形「解読ガイド」千葉「甦る古代」参照)
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「ちち」「はは」「を」「め」「こ」「いえ」など家の周りの言葉というものは、「基本語」であり、古い歴史を経ても変わることがないものです。「よし」「あし」などの認識の言葉にも基本となる言葉があります。技術や科学の言葉の基本には、「数詞」があります。ものを数えることがなければ、技術や科学の始まりはないからです。
ですが、その大切な基本語のひとつである「数詞」は、現代日本語では、大和言葉ではなくなってしまっています。不思議ですね。(「イチ、ニイ、サン、シー、ゴー、ロク、シチ、ハチ、クー、ジュー」を時々「、、、なな、ハチ、クー、、、」とたまに「7」だけ大和言葉で数える方もいらっしゃいます。大和言葉の「なな」は、他の数詞が「みつ、よつ、ゐつ、むつ」と「某つ」なのに、7だけが「なつ」ではないことも不思議ですが、、、それは棚上げして)
「数詞」が、大和言葉でないことの所以は、いわゆる「大蔵系(財務系)」官僚が、大和言葉ではない国々からの帰化人に席巻されてしまったからではないかと、筆者は考えています。古墳時代の大昔の話です。もちろん今、財務省は反日系日本人に牛耳られていますが、大昔の大蔵系が、反日帰化人だったと主張しているわけではなく、むしろ親日努力家であったと思いますが、、、
それでも、生活風習にまつわる数詞は、つい先頃まで、大和言葉でした。数詞の大和言葉を取り戻すことは、日本人が甦るためのひとつの鍵かも知れません。
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