縄文叙事詩ホツマツタヱ

検証ほつまつたゑの編集長とらさんがリリース

【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㊷「いはとひらき」 <129号 令和5年10月>

「天の岩戸開き」は日本神話の重要場面です。

『諸カミは イハトの前に かしまとり これぞトコヨの 「ナガサキ」 や』ホ7

『君 笑み 細く 窺えば イハトを投ぐる タチカラヲ 御手 取り出し 奉る ツハモノヌシが しめ縄に 「な返りましそ」』ホ7

 ソサノヲの狼藉に対して洞窟に引き籠もったアマテル大御神でしたが、賢臣オモイカネの工夫によって事態は打開され、世間は光を取り戻します。

 この前段に
『ソサノヲは イワを蹴散らし なお怒る 君 おそれまし イワムロに 入りて閉ざせば 天が下 明暗もアヤ無し』ホ7 とありますので、「いは」と「いわ」は通じていることが分かります。

 そう捉えると、ホツマが伝える「いはとひらき」はもう一つあります。
『「タマのイワトを 開らけ」 とて 一位のはなの 笏もちて  今こそ開く アマの戸や 出づる若日の 輝きて』ホ4

 まさにアマテル大御神ご誕生の場面です。
誕生の場面に「いはとひらき」があるので、ホツマ研究者の中には、
1.ソサノヲの狼藉で「岩戸に入った」とは大御神の「崩御」を意味するのではないか。実はこのときに大御神は亡くなっていて、その後は、巫女が霊言を取り次いだだけではないか、という説や
2.「岩戸入り」と再度の「岩戸開き」は、イエスの復活譚の「元ネタ」なのではないか、という説などもあります。

 ところで、日本書紀古事記と比較して、最も顕著かつ重要な違いは、その登場人物のすり替えです。

 ホツマでは、オモイカネの発案で、ウズメが舞踏し、ツワモノヌシとタチカラヲが活躍します。ですが、記ではウズメとタチカラヲは活躍しますが、オモイカネとツワモノヌシは消されて、代わりにアマノコヤネとアメノフトタマが登場します。紀では、オモイカネは賢臣として登場しますが、やはりツワモノヌシは消されてアマノコヤネとフトタマが登場しています。

 この登場人物すり替えは、本号「三大神勅を考える」でも指摘したように、記紀編纂時において極めて政治的な思惑が働いた可能性を感じさせます。
ここを糺さなければ、日本の真正古代史の「岩戸開き」は無いように思います。
(駒形一登「解読ガイド」参照)

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 天の岩戸開きは、古事記日本書紀でも馴染みの場面ですが、ホツマツタヱには、重要な記述が隠されています。
 岩戸開きは、「二度」あったと云うことと、「登場人物」が、記紀ホツマツタヱでは異なっているという重要な記述です。
 出生と再生という、アマテル大御神にとってのかけがえのない場面を、記紀ではその主人公をぼやけさせ、介添人たちをまるで主役にすげ替え、しかもその主役を「アマノコヤネ/春日系」と「アメのフトタマ/忌部系」とにすり替えているのです。マツリゴトを専横する根拠となる偽神話が、ここに捏造されました。このすり替え操作によって、原典ホツマから記紀への改竄の主導者があぶり出されます。

ナビ彦さんのこの動画は、かなり独特の解釈を打ち出しています ↑

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