ホツマツタヱに「やくどし/厄年」という言葉はありませんし、「やく/厄」という言葉もそもそも記述がありません。しかしながら、男女の厄年に通底する概念はあり、
『然れど父は 鈴 四十穂 母は三十一穂 アメのフシ 宿れば当たる 父の汚穢 男の子は母の 隈となる』ホ3 という重要な記述が残ります。
両神の初子ワカ姫が生まれたとき、イサナギが四十歳でイサナミが三十一歳だったので「アメのフシ(天の節/陰陽の節)」に当たったのだそうです。なので三歳にならぬうちに(満年齢で二歳足らず)イワクス船に乗せて(擬似的に)捨て児にしたというのです。(万事了解していたカナサキ夫妻がひろって養育します)
これが、男四十二歳、女三十三歳の大厄の「もとおり」とホツマ研究者は考えています。
今日では、男の厄年は数え年で「二十五、四十二、六十一」とされ、女では「十九、三十三、三十七、六十一」(異説あり)とされています。
両神の時代に既にその風習に従っていたということは、起源はかなりさかのぼると考えられます。
似た言葉に、「アワのフシ」という言葉があります。
ワカ姫が弟ソサノヲにワカ歌の五七調を説明する下りで、
『ハナキネは、五七につづるを 姉に問ふ。姉の答えは「アワのフシ」』ホ1
続く下りで太陽と月の周回のズレから三十一音と字余りの三十二音(祓い歌)の違いを「アワのフシ/天地の節・陰陽の節」から姉ワカ姫は懇切に教え説きます。
故に、これらは、いわば「宇宙生命リズム」の生む「順と不順」ということになるのかと思われます。ただ、不順そのものが「凶」となるわけではなく、「アメノメグリノムシバミ・アメノムシバミ」を犯すと「凶」となるようです。
『アメの巡りの蝕みを 見るマサカニの 中 濁りて 生むソサノヲは 霊乱れ 国の隈成す 誤ちぞ』ホ7
『日の神の 嗣得て植ゆる 君は今 若きタケヒト 思わねば アメの蝕み晴るる時 苗生え無んや』ホ28
『アマつ日月を 我 継ぎて アメの和ふ日も 安からず 陰陽誤りて ついてせず 疫病起りて 民 治えず』ホ34
今の世界は「ムシバミ」を犯してないでしょうか。
(駒形一登「解読ガイド」参照)
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厄年という厄介な年巡りの習俗が、実は縄文時代からあったとは、驚きです。
日本の古い習俗をすべてシナやコリア由来とするのが大東亜戦争後のアカデミズムですが、「厄年」に関しては、それらしい典拠を東アジアに求められないようです。けれども、世界中に目を向けると、各地に似た習俗はあるようです。
地方によって違いがあるのですが、イギリスでは、一般的には男性は4のつく年、女性は7のつく年が良くないとされているようです。厄払いには、その数だけの木の実を庭先で焼くのだとか。
スペインでは、男性は24歳と44歳が、女性は14歳と34歳が厄年にあたり、馬肉片を年の数だけ食べ、夜を踊り明かすことで厄を祓える風習があるそうです。
トルコでは、一般的には男性は23歳・43歳・63歳が、女性は13歳、33歳、53歳が厄年とされていて、等身大の泥人形を流して厄払いをする風習もあると云うことです。
微妙に近似感があり、男の40代前半、女の30代前半に危険があることなどは、興味深いです。
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ホツマツタヱにはまったく評価が低い竹田氏ですが、神社との付き合い方の基本形は、おっしゃるとおりですね ↑
https://www.youtube.com/watch?v=yMQRLvFM2GY
日本人感覚とのズレをみごとに説明して下さいます ↑
「厄年」を「役年」とポジティブにとらえる考え方は、確かにあります。神社の当番もその大厄年齢に合わせることも各地に見られます。カミごと(神事)の「役」を引き受けるとこで、潔斎を心がけて、結果的に厄払いとなるという効果はは、前向きに受け取るべきですね。
(とらさんは、no+e ブログでも投稿しています)