縄文叙事詩ホツマツタヱ

検証ほつまつたゑの編集長とらさんがリリース

【ホツマの論点】クメ(大来目)が、もしもミチヲミ(道臣命)だったら?  <107号 令和2年2月>

 古事記では、「天孫ににぎ高千穂峯天降り」のくだりで
故れここに天忍日命、天津久米命二人、天之石鞆を取り負ひ、(略)御前に立たして仕へ奉りき。故れ、其の天忍日命、此は、大伴連等の祖。天津久米命、此は、久米直等の祖なり。
 と記しています。

大伴連の由来を語る場面であり、ほぼ近似の記述が日本書紀にもありますが、ホツマ伝承にでは、ニニキネの御幸に際して斯様な記述はないものの、『ミチヲミ クメと 御垣守』(30綾)と、神武朝に記されています。しかし、「天忍日命」が「アメオシヒ」であるなら、シラヒト・コクミ事件でタカマに告発されたカンサヒの息子で、後にハタレ反逆の中心人物のひとり「ハタレネ」となったその人物です。大伴氏は、天忍日と結びつくのでしょうか。

ホツマには叛乱後の処遇に関して記述がないので不詳です。ところが、記紀古語拾遺、姓氏録では、神武東征の功臣筆頭のミチヲミ「道臣命」の祖先がやはり「天忍日命」であると伝えます。天忍日命がカンサヒの息子と同人物かどうかはさておき、大伴一族自身も自らの始祖を道臣命と誇り、高皇産霊尊に連なる名族と捉えて後世に称え歌を奉じています。

 さて、やはり神武の功臣で初の「総勅使スベシカド」に任命され「大連オオムラジ」(ホツマ伝承では空前絶後の称号)に遇された「弥彦神」タカクラシタがいます。彼は、数奇な運命の美女イスケヨリヒメを神武天皇から下賜されるのですが、神武が姫を見初めたのは、『君の御幸は サユ郷に 一夜寝ねます クメが家の イスキヨリ姫  膳出に 御食進むれば』(31綾)とあり、クメの姫であります。

 本誌寄稿者の駒形氏は、「クメ」は「配下の者・率いる兵」程度の意、と解しています。即ち「クメを賜る」とは近衛兵を任されること、故にオオクメは近衛長官ではないかと読み解いています。とすると、タカクラシタが下賜されたのは、オオクメとなった道臣命の娘であると解釈できることになります。

 若し、その解釈が可能なら、このふたりの子孫は越後と尾張と紀ノ國を治め、歴代皇族とヤマトタケに后を入れ、熱田神宮浅間大社宮司を務める古代大名族を形成したことになります。さて、真相はどうでしょう。

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古今伝授を秘伝した大伴一族と、尾張の名族、道臣命の系譜は謎に満ちています。このあたりの処は、とらさんの主要な関心分野の一つで、来月号(132号)の本誌でも新たな論考を発表しています。ヤマトタケのなどにも係わる、本朝古代史の重要解読点です。

弥彦神社に祭られる高倉下命は、ニギハヤヒ神とも因縁の深い武神です。これらの神々が後の徳川家にもつながる「天下泰平」系の武君を生み出していったと理解すると、日本史の見方も大きく変わるのではないでしょうか。

↑ さて、本日(3/31)は、これからお江戸に上がり、屋台船でお花見しつつ、とらさんが船上講座を開きます。フトマニを究め、ホツマ暦を学ぶと、東洋占術の淵源がすべてここに源を発していることが鮮明に理解でき、目からウロコが落ちる思いを致します。このお話は、また追々と、、、。