縄文叙事詩ホツマツタヱ

検証ほつまつたゑの編集長とらさんがリリース

【ホツマの論点】ハタレ騒乱から学ぶ知恵 <110号 令和2年8月>

オモタル・カシコネ(天神六代)の武断政治がもたらした社会の混迷を、七代の両神イサナギ・イサナミは刷新させ、民衆教育を土台に天下の修理固成を成し遂げます。「和の心」を引き継いだアマテルは父祖が拠り所とした「斗と矛(トホコ)/徳治と法治」の原則を編み直します。豊かさに伴う「慢心、嫉妬、羨望」の念に諸悪の根源を嗅ぎ取ったアマテルは、「鏡(カガミ)/自制」を加えてミクサタカラ・三種神器を施政原理の根本に据えます。それは、シラヒト・コクミ事件から天の岩戸騒動、そしてハタレ騒乱を経験する中でアマテルが見出した天壌無窮(あめつちきわなし)の大原則でした。

さて、建国七十年の歴史をまもなく迎えるチャイナや、奴隷制をめぐる内戦から百五十数年のアメリカにおいては、「飛躍的な成長に伴う慢心、格差と憎悪の深まり」に淵源すると思われる、片や圧政と膨張、片や暴虐と緊縮が、狂気の沙汰をあらわしています。マスメディアは報道しませんが、ネットの情報はリアルです。「圧政と無政のハタレ騒乱」をこの21世紀に実況中継されるとは、誰が予想していたでしょう。生きたまま臓器を奪われたり信仰や性を蹂躙される「圧政」や、白昼堂々と放火や略奪が横行し少女や老婆が寄ってたかって殴打される「無政」が、私たちと同時代の文明国に進行しているのです。

「日本には略奪が発生しない不思議」は、諸外国人の興味を引くテーマですが、答えは簡単で、「鏡」の有無だったのです。「鏡」は世界中にありますが、異国でその象徴するものは「真実」より、むしろ「慢心/虚栄」であります。まして、治世原理(と同時に人生原理=夫婦原理)として「鏡」を尊重する民族は、大和民族以外には残念ながら存在しないでしょう。もっとも、当の日本人でも、それが「3000年の昔からのアマテルの教え」に拠るものとは理解していないけれど。

ハタレ騒乱の収束場面に登場する「マフツの鏡」。それが、フタミ岩(夫婦岩)に据え置かれた意味を、今こそ深く思い至るべきでしょう。

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「文明国」に繰り広げられるおぞましい惨劇は、わたしたちが安穏と暮らすこの世界文明の裏面をあからさまに示します。

わたしたちの国が、「鏡を奉戴する国」であることに、深く思いを致すとともに、「暴」に対しては「武」が必要であることを、縄文期の叛乱事件から学ばなければなりません。矛を止める武人には「鏡の心」が肝要なのです。

本号の表紙画像は、伊豆山の興亜観音本堂です。
怨親平等」を祈念する「武=矛を止む」の霊地です。邪悪な背信者が消えて松井石根翁の祈りが甦ることをこいのみねがいます。