縄文叙事詩ホツマツタヱ

検証ほつまつたゑの編集長とらさんがリリース

【ホツマの論点】 アマテル大御神が食した苦草 <119号 令和4年2月>

 ハラミの宮に宮都をひらいたアマテル大御神が、天下の安寧を見届けるために苦草を小食し、長寿を維持したことはホツマ全編で繰り返し語られています。

『食重なれば 齢なし 故に大神 月に三食 苦きハホ菜や』1文

『我が常の食 千代見草 他の苦菜より 百々苦し 苦菜の食に 永らえて 民豊かにと 国 治む』15文
『ハオ菜を食めば 千代を得る 若菜も同じ 苦けれど ハオ菜は百々の 増し苦く 千代を延ぶれど』24文

 千代を得る故「チヨミ草」と称されたこの苦草は、富士山に自生する「ハ(ホ菜/オ菜)」草と「ラ(ハ)菜」草と「ミ」草の三種でした。「ハ・ラ・ミ」のなかでも「ハ」草は、とても苦い味だったようですね。

 『ハラミの山の 吉き草も 五百年前に 焼け失せし 種も再び 生る兆 (略)千代見る草も 生ゆるぞと』32文 第七代孝霊天皇は「ふじ」を名付けたスメラギですが、火山活動で滅却したと考えられていた「チヨミ草」の蘇りを期待されていました。「御衣(みは)の綾草」すなわちご装束の紋に似た草を探し求められましたが、

 『根は人の態 葉はヨメナ 花 八重顔よ』24文
 『ラハ・ハク葉 もぐさ・かぶろ葉 血を増して 老いも若やぐ』24文 などの特徴が伝承されており、また春の七草とは重ならないので、探すヒントがありそうです。

 根が朝鮮人参の如くで、葉はキク科の態、咲く花は小花が集積した形態とすると、「フジアザミ」などが近いように考えられます。富士山固有のイタドリやミヤマオトコヨモギ、オンタデ、あるいは冬枯れしない異色なフジハタザオなども三種の候補に挙がるかも知れません。

 ところで素朴な疑問ですが、イサワ宮に遷座したあとの大御神は何を食されたのでしょう。「神饌は御飯三盛、鰹節、魚、海草、野菜、果物、御塩、御水、御酒三献と品目が定められて」(神宮)いるそうです。苦草が見当たりません。大御神は壮年以降も以前にも増して、きっと健康長寿に配慮されたはずです。
そこで神饌によく添えられる檜枝や松枝に注目してみるといかがでしょう。器の代わりや彩りとして使用されていたと見過ごされていた檜葉や松葉が、実は「主食」だったとしたら? 苦い枝葉ですが、ヒノキは、檜油に含まれる成分(ヒノキチオール)の遺伝子活性化作用が注視され、古くから不老長寿の妙薬とされるマツには顕著な抗酸化(長寿)作用が知られているのです。はてさて。

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 アマテル大御神は、民を慈しむために自制し、長寿を保ちました。「苦菜」を食して健康を保ったとホツマは伝えるのですが、蓬莱山から遷宮されてからは一体、何を召し上がっていたのでしょう。
 大御神と「松」との関わりを推論した考察の書き出し論考です。

 

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とらさん原田峰虎|note