縄文叙事詩ホツマツタヱ

検証ほつまつたゑの編集長とらさんがリリース

【ホツマの論点】令和は新「国風文化」の序幕となるか <103号 令和元年6月>

 令和時代の幕開けとなりました。新元号は、初めて漢籍ではなく日本の古典(国書)から選定されたとされ、にわかに「万葉集」ブームだとか。ですが、「漢籍を典拠とせず」と殊更強調するまでもなく、元々、我が国の元号は、本朝の目指すところの理想を「漢字を借りて表現」していただけのものでありました。

 とはいえ、時代の風潮には大きな波があり、舶来ものに憧れる度合いの強い時期と、独立自主性に力を入れる時期が交互してきたと、我が国の歴史を振り返ることも出来ます。「国風文化」とは、十世紀の初め頃から十一世紀の摂関政治期を中心とする「日本的美意識を見直し強調する」文化です。白村江の戦い以降の「唐風文化取り入れ」に区切りを付け、遣唐使を廃止して、我が国独自の文化伝統の尊重、再評価の気運が高まりました。初の勅撰和歌集古今和歌集」が編まれ、仮名文字が発達して女流文学、物語文学が世界に先駆けて成熟し、大和絵が誕生し、宗教的にも外来宗教の国風化が進みました。

 この時代の文化遺産は、現代にもつながる我が国独自の文化基層を構築することになります。その中には、紀貫之の「仮名序」や、謎だらけの「竹取物語」、我が国最初の百科事典「和名類聚抄」、宗教的には「御霊信仰」や「陰陽道」など、ホツマと色濃く関連する「秘密」の欠片が観察できます。多くの「国風文化」舵取り役は、ホツマを(程度の差こそあれ)知っていたのです。思い起こせば、ホツマの編纂も、外来勢力乱入の懸念が高まるなかで、取り組まれたのでした。

 一方で、我が国独自の伝統に反感を持つ一部勢力は今、躍起になって「そもそも〇〇は、大陸由来」とか、その根元は「中国朝鮮にあり」とか、必死に言挙げしています。例えば、「梅」は中国からの移植だとか、、、。

 先般来日したトランプ大統領は、国技館に乗り込んで「自由主義陣営の盟主」を気取りたかったかも知れませんが、滞在した四日間で、(良い塩梅に)彼我の重みの違いにため息をついたのではないでしょうか。

 本号では、我が国の「伝統の重み」の核心に迫る寄稿が満載です。ご期待下さい。

+++++++++++++++++++++++++

令和時代幕開けの巻頭小論です。元号「令和」は、万葉集から採られたのですが、その歌は、「梅花の宴」に所縁のある歌です。令和は、梅の時代なのです。
「三千世界一度に開く梅の花」の時代が到来してきているのかも知れませんね。

表紙画像は、ホツマの聖地タカシマに近い「揚梅の瀧」です。画像説明を再録すると、
>ニニキネ尊と猿田彦神が出逢った琵琶湖の湖西。猿田彦神は、ニニキネ尊御幸のために岳山を押し開き、饗宴の準備をしていました。(略)本伝で、翳したのは「卯の花」ですが、滝の名前は「揚梅」。これは、訛伝なのでしょうか。いえいえ、ニニキネ尊は伊勢を発つときから「梅の御饗」を重ねてきたのですから、実際この場で「梅を翳して(揚げて)一服した」のかも知れません。現地を訪ねると、そこに鮮やかに「ホツマの足跡」が伝承されていることに感動を覚えます。<

わたしは大本信者ではなく、不二講の行者ですが、出口なおのお筆先や日月神示には、重要な啓示が隠されているように思います。