縄文叙事詩ホツマツタヱ

検証ほつまつたゑの編集長とらさんがリリース

【ホツマの論点】 ヲシテをめぐる未決の課題 <125号 令和5年2月>

「ヲシテ文字」と云う表現は「文字文字」を意味する重複表現になりませんか? と、ホツマ研究に大きな足跡を残された千葉富三氏にうかがった時、千葉氏は、「いいえ、わたしはヲシテとは『聖なる印、称号』を意味するとみなしているので、ヲシテ文字、と云う表現は成り立つと考えています」と、返答されました。

では、そもそも「文字」を意味する大和言葉は何であったかと考えを巡らすと、これが難しい。「ことは」「ことのは」は、発せられた言葉であり、違う。ヲシテやウタは「染める」ものだけれど、「そめ」と云う名詞は用例がない。近いのは、「ふた(ふだ)札」か、「ふみ」なのだが、綴じたり折ったり巻いたりしていない「ふみ=文書」を「ふだ=札」と称していた感があり、文字そのものではないニュアンスがある。やはり「ヲシテ」なのか。

ヲシテ文字「ヲ」を「を」と表記するか「お」と表記するか、研究者によって流儀に違いがあるが、これは、ヲシテ文字そのものの問題と云うよりは、仮名遣いの「くっつきの【を】」と、五十音表のア行に置くのが正統であるかワ行に置くのが正統であるかと云う国文学上の未決問題が、そのままヲシテ研究に重なっている問題です。鏑邦男氏の流れをくむ清藤直樹氏や千葉富三氏が「あいうえを」派です。

ヲシテ文字「ハ」即ち助詞の「は」をハ行とみるかワ行とみるか、これも見解の相違があるところですが、今村聰氏は「しからば」など濁音となる場合を指摘して、ハ行を本則とみなしています。

その濁点の存在を、駒形一登氏などは「もとは限られていたものが、後世、写本が重なるうちに、写本者の癖が出た可能性がある」とみておられます。駒形氏は、変形文字の多様さも本来、元々は限られていたとお考えです。変形文字については、「ヲシテは聖なる印形」と考えると、聖なる故に「多様な表現が派生した」と考え得ることが出来るかも知れないと、原田は按じています。

母音と「子」音と云う区別は、表音文字である外国語からの表現であり、ヲシテの四十八文字は、母音と「父」音との睦み合いに拠る、との理解は多くの研究者の支持するところです。江戸時代に神字日文を研究された平田篤胤翁が、やはり「父音と母音」と表現されています。

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ヲシテの表記における主要な問題を取り上げた考察です。

くっつきの「を」に関する疑問点は、その後、小誌130号の丸山恭平投稿「ヲシテはひらがなの原型」において新たな視点が提起されました。こちらも是非ご覧頂ければ幸いです。

(本ブログは、no+e ブログのミラーです)

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