縄文叙事詩ホツマツタヱ

検証ほつまつたゑの編集長とらさんがリリース

【ホツマの論点】 アマテル大神の性自認 <127号 令和5年6月>

神代文字で記された古代文献は我が国に複数ありますが、ヲシテ文献がその他の雑多な古文書と一線を画するひとつの特徴は、「アマテル大神が男性神」であることです。ウリフ姫を含むと十三妃を局に入れたアマテルは、歴然とした男性神ですが、記紀もその「性」を女性に改竄して今に伝えます。天界の大神は、この錯誤をどうお感じになっていることでしょう。

GW明けの自民党総務会は「LGBT理解増進法案」の修正案を強引に推進し、G7サミット開催に合わせて「性差別のない国造り」をPRしようとしました。野党の反発で国会成立は見通せない雲行き(5月中旬現在)とのことですが、茶番劇とはまさにこのことで、「ワクチン、コオロギ、性差別」は、政権党を今後衰退させていく重要なキーワードになるでしょう。

宝塚歌劇団や歌舞伎が篤く支持され、テレビではオカマが重宝される高度な文化を有する我が国が、同性愛者殺人の横行する諸外国に文句言われる筋合いはないのだが、そもそもの哲学の深さが違います。

ホツマツタヱには「対立する性」と云う概念がなく、永遠に融和を求める「相和する性」としてメヲ(妹背)が寄り添っています。しかもそれは、可逆性があるととらえていたフシがあります。14綾に語られるように、女性器は男性器から生まれ、男性器は女性器から生じたという生殖器の発生原理の認識や、それ以前の「性差の芽生え」にも互いの影響力(波?)の存在を感じ取っていたようです。メヲどちらもかけがえがなく、ただ役割の認識と覚悟により、どちらにもなり得る、そんな認識があったように思えます。ソサノヲやヤマトタケの「女装」も、ただの「だまし討ち」ではない深意を読み込むべきでしょう。

中高生の頃に同性の先輩に憧れ、性的倒錯に少々悩み、でもいつしか自覚と覚悟で本来目指すべき「自分の性」を確立するという道は、よくある青春の道です。「女らしさ」「男らしさ」をもっともっと磨くべきだし、主張すべき。目くじら立てる活動家の「性差別攻撃」にひるむことなく、オンナの素晴らしさ、オトコの素晴らしさを謳歌し、愛し合いましょう。大神なら「朕のことより汝の性を磨き守れ」とおっしゃるのではないでしょうか。

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上記は、かなり反響をいただいたバックナンバーの巻頭論考です。

アマテル大御神が男性神であり、そのことがホツマツタヱを特徴づける大きな要素であることは間違いありません。けれども、それを強調しすぎて、記紀神話や他の古史古伝を全否定する態度を、わっしはとりません。

アマテル大御神は男性であり女性でもある「男女一如」の御存在であったと考える方が、真実に近づけると思うのです。男性神でありながら、女性の心を極めて大切にされていた神であったのです。

元始、女性は太陽であった!

そう考えることは、素晴らしいことだと思います。

(本ブログは、no+e ブログのミラーです)