縄文叙事詩ホツマツタヱ

検証ほつまつたゑの編集長とらさんがリリース

【ホツマの論点】 オシヒトご学友とヒタカミ国 <128号 令和5年8月>

アマテル大御神の世嗣子であるオシホミミ(オシヒト)は、イサナギに預けられて帝王教育をほどこされます。これは、アマテル自身が、外祖父であるトヨケ大神に預けられたことに倣った教育方針と思われます。イサナギ崩御後は、オモイカネとワカ姫が後見人を引き受けますが、その時にヨロマロというご学友がオシホミミに近侍します。ヨロマロの出自は明示されませんが、第七代タカミムスビであるタカキネの息子であると思われます。

ご学友ヨロマロは、オモイカネとともに多賀若宮に居たのですが、オモイカネ夫妻の後任にタカキネが着任すると、入れ替わりにヒタカミ国に戻り、ヒタカミのカミ(国守)の任につきます。すると、それを追うかのようにオシホミミはヒタカミへの遷都を決意するのです。その際、タカキネの娘(ご学友ヨロマロの妹)を皇后に入れます。外祖父のタカキネは琵琶湖の宮で、中央政府代表のような役職に就いています。

つまり、アマテルの次代はヒタカミ系に完全に掌握されている状態です。賢臣オモイカネは隠居身分ですし、ハタレ反乱で功を上げた有力者カナサキもツクシ(九州)の地に本拠地を移しています。

アマテルは伊勢の地でまだ隠然たる権威を保持しております。この頃の日本は、(四国九州を除くと)東日本のヒタカミ(タカキネ系)と中央日本のコヱクニ(アマテル)と西日本のイヅモ(ソサノヲ・オオナムチ系)とに色分けされていたと観ることも出来るかも知れません。当然、微妙な思惑が交差していたでしょう。

そう考えると、①カシマタチ(出雲征伐)の必要性 ②オオナムチの津軽への移封 ③鹿島や香取への功臣の封建 ④アスカへの天下りをオシホミミに命じたアマテルと、それを丁重に断ってホノアカリを天下らせた意図、等々が、誰の何ゆえの目的なのか、を考える際に、極めて重要な示唆を与えます。

アマテルはトヨケ大神の帝王教育を受けて大日本国構想を練っていたけれど、ヒタカミ系は「大ヒタカミ国構想」を夢見ていたとしたら、、、、。ボタンの掛け違いは、はるか後代のヤマトタケのホツマ討ちや、それ以降の中世史、いや、もしかしたら近代史にまで影響を与えているかも知れませんね。NAVI彦小説、注目です。

 

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