縄文叙事詩ホツマツタヱ

検証ほつまつたゑの編集長とらさんがリリース

【ホツマの論点】 五百(ゐも)継ぎ真榊の問題点 <131号 令和6年2月号>

 天神四代のウビチニとスビチは、男女神となった初の神さまです。劃期をなす神さまであるわけですが、暦の面でも特筆する出来事があります。「五百(ゐも)継ぎ真榊」と伝承される「記念すべき暦の樹の植え替え」がウビチニ治世に行われました。千枝で「サクスズ」となり枯れる真榊(スズの木)を五百回植え継ぎしてきた後の、最初の植え継ぎをなされたのでした。ですが、何故これが「記念すべき植え継ぎ」なのでしょうか。

1. 五百回で「親株」が更新されるから説

2. 五百回が、めでたい数字だから説(「ゐも」が「妹背」に通じるから?)

3. 五百回が、ちょうど「ヨロトシ=萬歳=1万年」に当たるから説

などの説がありますが、そもそもこの数字が「八百」という馴染みの数字でないところは重要です。単に、「たいへん多い」という数字ではなく、五百(ゐも)に意味があると考えられます。

 ヒタカミ国の「ゐも継ぎ真榊」の起点にも問題があります。ヒタカミ国を建国したハコクニの子は初代タカミムスビとなり「ゐも継ぎ真榊」を植え、「キノトコタチ」という称号を得ます。この「ヒタカミの真榊」の起点が、ウビチニの植え継ぎの年代とどれほど離れているのか、実は明確でないのです。ウビチニが植え継いだ真榊は、六代オモタルの代に途絶していて、ヒタカミの真榊とは同一ではありません。起点が揃えられていると思いがちですが、「ゐも継ぎ」が、「暦」「萬歳」「永代」などの枕詞・形容詞のように使われている可能性もあります。「ヒタカミでも萬歳と永代に続くことを寿ぐ暦を刻む樹=真榊を植えた」という意味であるかもしれないのです。

 もうひとつの重大な問題点は、18アヤの記述です。

「うゑつきゐもの のちのはつ ゐもつぎあまの まさかきお きみのみわざの もろともに まさかきふその あまるころ わいためあらす」

 1.「うえつき」と「ゐもつぎ」の書き分けの意味をどう読み取るか

 2.「のちのはつ」をどう解釈するか という問題です。(「後の果つ」なのか?)

 この部分を、「ウビチニが植え継いだ真榊が、また五百回植え継がれて、さらに加えて二十余回植え継いだ頃」と訳す解釈がありえるのです。萬歳は、遙かな年代です。この解釈の差異は実に大きいのです。

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