駒形一登 全仕事 0036
素戔嗚尊 2013-01-17 15:25
素戔嗚尊は、他の文献では「スサノオ」だが、ホツマでは「ソサノヲ」である。ただ「スサ」と呼ばれている所も一ヶ所だけある。
ソサノヲは、ソサ国 (紀州) で生まれたことがその名の由来となっているようだが、それだけではないと思う。経験上、地名や人名には複数の意味をかける場合が多いことを発見している。断言できるわけではないが、「ソサノヲ」の場合、「すさぶ」とか「騒々しい」などの意味も込められているように思う。
ソサノヲは、ある意味で『ホツマツタエ』の主人公と言っていいと思う。
ホツマツタエの編纂に関わった「クシミカタマ (櫛甕玉)」と「オオタタネコ (大田田根子)」は、どちらもソサノヲの子孫だから当然のことかもしれないが、それにしても問題児ソサノヲは非常に魅力的なキャラクターである。
ソサノヲは、イザナギ・イザナミが生んだ末の男子で、「1. ヒルコ」「2. アマテル」「3. ツキヨミ」の弟である。二神は紀州にやって来て、先に捨てたヒルコを呼び戻す。イザナミがタチバナの木 (はな) の下でヒルコに歌を教えていた時に、産気づいて生んだ男子なので「ハナキネ」と斎名 (いみな:本名) を付けたという。その生れ付きは、粗暴・狂乱の体であった。
『ソサ国に生む ソサノヲは 常にお猛び 鳴き騒ち 国民 挫く』ホツマ3文
『先に捨てたる ヒルコ姫 再び召され 木の下 歌を教えて 子を生めば 名もハナキネの 人態は 騒ち お猛び 頻捲きや 世の隈 成せば』ホツマ5文
母イザナミは、ソサノヲの粗暴な生れ付きの原因について思い当たるところがあった。
『陽陰の巡りの 蝕みを 見る 真栄瓊の 中 濁りて 生むソサノヲは 魂 乱れ』ホツマ7文
『女は月潮の 後三日に 清く朝日を 拝み 受け 良き子 生むなり 誤りて 穢るる時に 孕む子は 必ず粗るる』ホツマ7文
ホツマによれば、女の生理は月が支配し、男のそれは日が支配する。したがって『穢るる時』とは「陽陰の節(陽陰のリズム)が合わない時」を言うものと思われる。ソサノヲは『穢るる時』に孕んだので、魂が乱れて粗暴に生まれたのだという。
『背の宗元 日と丸め 天 近く回り 男に配る 妹の鄙元 月と凝る 地に近き故 女に配り』ホツマ16文
イザナミは、ソサノヲが国民を挫き、世の隈を成すのも、その原因は自分にあると責任を感じ、ソサノヲが放つ汚穢・隈を我が身に受けて民を守ろうとする。
『イサナミは "世の隈 成すも 我が汚穢" と 民の汚穢・隈 身に受けて 守らんための 隈の宮』ホツマ3文
『世の隈 成せば 母の身に 捨て所 無き 世の隈を 我が身に受けて 諸民の 欠けを償ふ』ホツマ5文
おそらく『隈の宮』とはイサナミ自身を言い、建物ではない。ソサノヲを原因として世に徘徊する穢れや、八十禍日のような生き霊を、自分の体に寄せて閉じ込めようとしたもと思われる。
熊野の神社 (本宮・那智・速玉) は、死後「隈の神」と贈り名されるイサナミを祭った社なのだと思われる。出雲の熊野大社はそれとは異なり、汚穢隈の発生源であるソサノヲを祭る。
しかしイザナミは、結局それがもとで命を落とすことになる。
『ミクマノの みやま木 焼くを 除かんと 生む 火の神の カグツチに 焼かれてまさに 終る間に』ホツマ5文
『イサナミは アリマに納む 放と穂の 時に祭りて』ホツマ5文
ちなみに上記の『アリマ』は、現・熊野市有馬町の「花窟神社 (はなのゆはや神社)」だが、「ありま」の意味は「終わる間」である。ただし「間」は、"時" ではなく "場" を表している。
こんなソサノヲだったが、父のイザナギは、自分の元国である根国とサホコチタル国を、将来ソサノヲに治めさせる構想を持っていた。これはこの当時、イザナギの兄弟のクラキネが2つの国を治めていたが、クラキネには世嗣子が無かったためと思われる。
『先にタラチヲ "ハナキネは 根の国・サホコ 領すべし" いまだヒルコと 穢隈野の 臣が助けて 後の君』ホツマ6文
またアマテルも、トヨケの死後、サホコチタル国を自ら治めた時には、ソサノヲを臣として宮津の地に伴っている。
『去年より向ふ ソサノヲと アマノミチネと 御供して 五年の四月十五日 帰ります』ミカサ5文
さていよいよここから、ソサノヲの人生ドラマが始まるのであるが、それはまた次の機会に話すとしよう。
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さあ、いよいよソサノヲの物語です。これからしばらく連載が続きます。駒さんも、ソサノヲのファンです♡ ホツマ愛読者にソサノヲのファンは多いでしょう。そもそも、
> ソサノヲは、ある意味で『ホツマツタエ』の主人公と言っていいと思う。
ホツマツタエの編纂に関わった「クシミカタマ (櫛甕玉)」と「オオタタネコ (大田田根子)」は、どちらもソサノヲの子孫だから当然のことかもしれないが、それにしても問題児ソサノヲは非常に魅力的なキャラクターである。< なのですから。
もちろん古事記日本書紀の愛読者、日本神話愛好者のなかでも彼の人気は、やはり高いですね。しかし、記紀の伝えるスサノオとホツマの伝えるソサノヲとでは、その人間味の深さが格段に違います。
そのあたりを駒さんは、じっくり味わいながらご案内していきます。
まず、その名前ですが、
> ソサノヲは、ソサ国 (紀州) で生まれたことがその名の由来となっているようだが、それだけではないと思う。経験上、地名や人名には複数の意味をかける場合が多いことを発見している。断言できるわけではないが、「ソサノヲ」の場合、「すさぶ」とか「騒々しい」などの意味も込められているように思う。<
と、駒さんは観ています。
という意味では、須佐之男命などと表記する古事記よりも、素戔嗚尊などと表記する日本書紀のほうが原典ホツマの意図をふまえているように思えます。(「ソサ」を「スサ」と呼び替える古事記には「スサ」という語音へのこだわりがあるとも思えますが、それは別の機会に、、、)
そのソサノヲの(現代的に云えば)ADHD的な性格行動は、、、
> ホツマによれば、女の生理は月が支配し、男のそれは日が支配する。したがって『穢るる時』とは「陽陰の節(陽陰のリズム)が合わない時」を言うものと思われる。ソサノヲは『穢るる時』に孕んだので、魂が乱れて粗暴に生まれたのだという。< と説明され、
ソサノヲを産み落とした
> イザナミは、ソサノヲが国民を挫き、世の隈を成すのも、その原因は自分にあると責任を感じ、ソサノヲが放つ汚穢・隈を我が身に受けて民を守ろうとする。<
のですが、駒さんは(あえて)指摘しませんが、不思議です。
何故なら、アメノフシを乱したのが、イサナギとイサナミふたりの同罪であれば、イサナミだけがその責任を負わなければならない理由はないからです。
いえいえ、オンナとは、そういう生き物で、わが子の責めをもっぱらに母は背負うのよ、という意見もあろうかと思いますが、それだけでしょうか。
その深追いは、ここでは避けますが、いずれにしても「母に自覚されていた生みの過ち」とその最愛の母との死別、がソサノヲの人生に定めをもたらしたことは間違いないでしょう。
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話は変わりますが、うそとまこと、は極めて大切な現代的テーマであると思います。とらさんの敬愛するYouTuberが、それぞれその関連の発信をしていましたので、ご紹介します。
てことー♡
駒形一登 全仕事 0035
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月讀尊 2013-01-17 11:41
気吹戸主 2013-04-26 14:22
月読命は、他の文献では「ツクヨミ」と呼ばれているが、ホツマでは一貫して「ツキヨミ」である。
ツキヨミは、二神 (イザナギ・イザナミ) の「ヒルコ (蛭子)」「アマテル (天照大御神)」に続く第三子で、男子である。末弟が「ソサノヲ (素戔嗚尊)」である。
ツキヨミは、ホツマにおいても記事が少なく、4兄弟の中では一番不遇の扱いを受けているように思える。それには理由があるのだが、後に述べる。
二神はアマテルを生み、これを世嗣御子と定め、教育のためヒタカミのトヨケ (豊受大神) のもとに送り届ける。
二神はハラミのサカオリ宮には戻らず、琵琶湖南岸のオキツ宮に帰るが、その後筑紫 (九州北部) に出向いてその地を治める。
そこでツキヨミを生み、斎名(いみな:本名)を「モチキネ」と名付ける。
ツキヨミも、兄アマテルに次いでヒタカミに上げられ、そこで教育を受ける。
『二神は ツクシに行きて 生む御子を ツキヨミの神 日に継げと 天 (都:ヒタカミ) に上げます』ホツマ3文
『ツクシに御幸 橘を植えて トコヨの道 成れば 諸守 受けて 民を治す 魂の緒 留む 宮の名も 復橘の央き宮 御子 生れませば モチキネと 名付けて』ホツマ5文
「ツキヨミ」の名の意味を考えてみると、上記の『日に継げと 天に上げます』が元になっていると思われる。
「日」は、日の神であるアマテルを指す。
「ヨミ」は「ヨヒ(宵)」「ヤミ(闇)」「ヨル (夜)」などの変態で、これは「陰・暗・夜・月」などを意味し、そしてこれが実は「黄泉」なのである。
だから「ツキヨミ」は「継ぎ黄泉」、すなわち「(日に) 継ぐ夜」という意味だと考える。
これは「日の神の次の弟だから、昼の次は夜だから、ツキヨミだ」程度の比較的軽いノリの命名であり、したがってアマテルの場合とは異なり、陰の本源たる月 (太陰) を象徴している名ではないと思う。
アマテルが天つ君となった後、ツキヨミはイヨツ姫 (おそらく四国を治めるイヨツヒコの娘) を娶り、イヨツヒコの後を継いで四国(伊予阿波二名) を「外の宮」で治める。そしてイヨツ姫との間に「イブキヌシ (伊吹戸主・気吹戸主)」を生む。
『弟 ツキヨミは 日に仕きて 民の政を 助けしむ イヨの二名の 治まらで ツキヨミ 遣れば 息吹 上げ 外の宮に治す』ホツマ6文
『ツキヨミの妻 イヨツ姫 生む モチタカは イフキヌシ』ホツマ6文
ツキヨミの平穏な時代の記述はわずかにこれだけなのである。
そして事件が起こる。
オモタル時代の末期には種籾の力が衰えて来ていて、米の収穫量が減り始めていた。クニサツチの子に「ウケモチ (保食神)」がいて、その子孫は山背 (やましろ) の花山周辺を治めていた。この一族は先進の農業技術を持っていたらしく、その族長は代々ウケモチの名を世襲したようだ。アマテルはこのウケモチから、収穫力の高い籾種を得ようと、使者としてツキヨミを派遣する。現地に赴いたツキヨミは、彼らの礼の無い対応 (これはツキヨミの誤解だと思われる) に憤り、ついに剣を抜いてウケモチを殺してしまう。報告を受けたアマテルは、ツキヨミの臣としての任を解く。
『オモタルの 末に穂細と なる故に ツキヨミ 遣りて 潤繁種 得んと到れば 丸屋にて 凝泥に向えば 注ぎ桶の 口より米の 飯 炊ぐ 園に向えば 肥 掛くる 手篭に入れ来て スズ菜汁 百々たくわえて 御饗なす ツキヨミ 怒り "卑しきの 唾 吐く穢れ 交わんや" と 剣を抜きて 打ち殺し 返言なせば 大御神 "汝 逆なし 合ひ見ず" と 政 離れて 蹌踉きます』ホツマ15文
これ以降、ツキヨミは歴史から姿を消すのである。
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「イブキドヌシ」は「気吹戸主」「伊吹戸主」などと書かれ、ホツマでは「イブキド」「イブキヌシ」とも呼ばれているが、 謎の多い人 (神) である。
イブキヌシは「大祓詞 (おおはらえのことば)」に出てくる「祓戸四神」の一柱として一般に知られている。
『延喜式祝詞 大祓詞』
佐久那太理 (さくなだり) に落ちたぎつ速川 (はやかは) の瀬に坐 (ま) す瀬織津比売 (せおりつひめ) と云ふ神、大海原に持ち出でなむ。如此 (かく) 持ち出で往なば、荒塩 (あらしほ) の塩の八百道 (やおぢ) の八塩道 (やしほぢ) の塩の八百会 (やほあひ) に坐す速開都比売 (はやあきつひめ) と云ふ神、持ち可可呑 (かかの) みてむ。如此可可呑みてば、気吹戸 (いぶきど) に坐す気吹戸主 (いぶきどぬし) と云ふ神、根国 底之国 (ねのくに そこのくに) に気吹 (いぶ) き放ちてむ。如此気吹 (かくいぶ) き放ちてば、根国 底之国に坐す速佐須良比売 (はやさすらひめ) と云ふ神、持ち速佐須良比 (さすらひ) 失ひてむ。
ホツマでおなじみの名前や言葉がふんだんに現れている。しかしホツマの伝えに照らしてみると、この祝詞の内容は何が言いたいのかさっぱりわからない。
ホツマは次のように伝えている。
イブキドヌシは「ツキヨミ (月読命)」と「イヨツ姫」の子で、斎名は「モチタカ」。アマテルの三つ子の姫の一「タナコ」(市杵島姫) を娶り、「イヨツヒコ」「トサツヒコ」「ウサツヒコ (菟狹津彦)」を生む。
『ツキヨミの妻 イヨツ姫 生む モチタカは イフキヌシ』ホ6文
『タナコ姫 イフキト宮に 生む御子の 兄はイヨツヒコ トサツヒコ ウサツヒコ』ホ28文
「イブキドヌシ」とは「イブキドの主」という意味である。
「イブキド」とは、四国の24県を治める政庁の名で、正確には「イブキト宮」と呼ばれる。 そしてこの政庁はもともとは「外の宮 (とのみや)」「外つ宮 (とつみや)」と呼ばれた。「外 (と)」は「外・遠・飛」の意で、海に隔たる「外つ地 (とつくに)」を指す。これは四国を表す名の一つである。 四国は他に「ソアサ」「イヨアワふた名」とも呼ばれる。
イブキヌシの父のツキヨミは、四国の守だった「イヨツヒコ 」(別名:アワツヒコ) の娘「イヨツ姫」を娶り、「外の宮」で舅を継いで四国24県を治めていたのである。
『弟 ツキヨミは 日に仕きて 民の政を 助けしむ イヨの二名の 治まらで ツキヨミ 遣れば イブキ 上げ 外の宮に治す』ホ6文
これより四国の政庁「外の宮 (とのみや)」は、「イブキ外宮 (いぶきとみや)」とも呼ばれるようになったようである。「イブキ (気吹・息吹)」は、「勢い・栄え・成果」などの意。
ツキヨミの世嗣子であるモチタカは「イブキ外宮の主」、これが「イブキドヌシ」の名の由来である。
この四国の政庁は後には「阿波宮 (あわみや)」とも呼ばれ、また事代主の「ツミハ」(積羽八重事代主) がその主になっていることから「事代が館 (ことしろがやかた)」とも呼ばれている。この政庁の跡が現在の「金刀比羅宮 (ことひらぐう)」と思われ、おそらく「ことひら」とは「ことしろ」の訛りである。
アマテルの時代に「六ハタレ」という反体制勢力が各地で蜂起する。この六ハタレの最後の一つに「アヱノミチ・アメヱノミチ」という集団があった。これは「アヰヌ」(天狗) の霊が人や獣に憑いて化けたものである。「ミチ」というのは「満ち」で、「進化・熟成して化けたもの」というような意味。「かみ (醸み)」とも言う。
アヱノミチの首領は、チワヤからアマテルに話合いを申し出てくる。アマテルはそれに応じてチワヤに向かうが、話合いにはイブキドヌシを勅使と送る。しかし代理を送られたことに怒り、戦闘が始まる。
『チワヤより アメヱノミチが 御神に "事 語らん"と 呼ばらしむ 君 イフキトに 執めしむ』ホ8文
『鳴り捲る ハタタ神なり イフキドは ウツロヰ 招き これを消す』ホ8文
『叢雲 覆ひ 暗ませば シナトを招き 吹き払う 炎を吐きて 室 焼けば タツタ姫 招き これを消す』ホ8文
『チワヤ』不詳。大阪・奈良・和歌山の三府県を分ける金剛山に千早 (チハヤ) 峠というのがあり、千窟 (チワヤ) とも呼ばれるが、あるいはここを言うのかもしれない。
『ハタタ神』は「かみなり (雷) 」のこと。
『ウツロヰ』は、空を治める自然神で、「鳴神 (雷) の主」と書かれている。
『シナト』は「シナトベ」とも言い、風を治める自然神である。
『タツタメ』は「タツタヒメ (龍田姫)」とも言い、竜を治める自然神である。竜を操って火を消し、高波を静める。
こうしてイブキヌシらにより「アメヱノミチ」は退治され、六ハタレによる反乱も治まる。ここに記されているように、イブキヌシはウツロヰ・シナト・ミヅハメなどの自然神を自由に呼んでその力を駆使できたようだ。
「ハタレ」とは「はづれ (外れ)」の変態で「外れたさま/もの」の意。反りや曲がりが過ぎて、人から外れてしまったさまを言い、特に悪霊に憑かれて人の道を外れた者を言うが、憑依した悪霊を取り除く方法があった。その人の霊 (血) を絞り、その血で誓書を書かせ、海の潮を浴びさせるのである。そしてその後「マフツの鏡」に真実の姿を写してみて、化け物の影が映らない者は再び国民となされたのである。
ハタレに書かせた誓書は「高野のタマガワ」という場所に埋められたのだが、後に化け物がでるようになったという。そしてイブキドヌシがそこに宮を建てると化け物は鎮まって出なくなったという。イブキヌシはこの功により「タカノ守」という守名を賜っている。
『そのヲシテ ハタレマ 九千と 民 九万 埋む高野の タマカワぞこれ』ホ8文
『タカノには 化け物 出でて イフキヌシ 宮を建つれば 鎮るに ヲシテ 賜わる タカノ守』ホ8文
イブキヌシが建てた宮とは、現在の「丹生都比売神社 (にうつひめじんじゃ)」と推測している。祭神の一人の「高野御子大神」はイブキヌシを指すように思う。
六ハタレによる反乱が治まった後、その根源である根のマスヒトの討伐将軍にイブキヌシは任命される。
『弥治まれど 源は 根のマスヒトに 因るなれば イフキトヌシに 討たしむる』ホ9文
討伐に向かう途中、改心したソサノヲと合流し、ハタレの根を絶つ。
(詳しくはこちら。)
『打ち連れ 宿る サタの宮 法を定めて ハタレ根も シラヒト・コクミ オロチらも 討ち治めたる』ホ9文
『サタの宮』は、ここでは「サタの粗の政庁」の意で、粗長 (あれをさ) の宿舎も兼ねる。「粗 (あれ)」とは、幾つかの村を束ねた行政区を言い、サタの粗長がアシナツチであった。「サタの宮」は、須佐神社と推定している。
『ハタレ根』は「ハタレの根源」という意で、サホコチタルのマスヒト「アメオシヒ (天忍日命)」を指す。
『シラヒト・コクミ』「流離の刑」に処せられたこの二人を「アメオシヒ」は臣として登用したのである。
『オロチ』人間の曲りやねじけが生き霊となったもの。「イソラ (卑霊)」とか「ハハ (穢)」とも言うが「オロチ」の方がパワフルなイメージがある。またそれらに取り憑かれた生き物を言う。ここでは特にモチコ・ハヤコを指す。
この功によりイブキヌシは「ヤマタ県」を賜り、「阿波のイブキ守」と呼ばれるようになる。ヤマタ県は「讃岐の山田」を言うと思われ、現在は香川県木田郡となっている。
『ヤマタ県を モチタカに 賜えばアワの イフキ守』ホ9文
ニニキネ (瓊瓊杵尊) は八州を巡り、農業用水を確保するため各地に川や池を掘り、壮大な土木工事で日本列島を大改造するのだが、地方を知行する国守たちもこれに倣っている。イブキヌシも自国の伊予に川や池を掘り、その土を盛って富士山を模した「天山 (あめやま)」を造っている。
『伊予のイフキは アメ山に 写し 田を成す』ホ24文
これを以て、イブキヌシに関する記事は一旦途絶える。
そして、かなり時代が過ぎ去ってから再び登場してくるのである。
「天の真榊」は、天君の宮の庭に植え継いできたが、50本目の真榊 (五十鈴) は植え継ぐこと無く自然に生えてきた。アマテルはこれを見て自分が世を辞む時期が来たことを悟る。
そしてこの五十鈴が6万年の天寿を全うして枯れたが最後、真榊は二度と生えてくることはなかったのである。植え継ぎは可能だったのかもしれないが、真榊の植え継ぎは天君の御業であるため、臣が代行することはできない。皇太子の「タケヒト」(神武天皇) は、この時、宮崎にあってまだ即位しておらず、天君不在の状況だったのである。
そこでアマノコヤネ (天児屋命) は野生の真榊の苗木を探しに全国を巡るが、成果は得られず、伊予の「事代が館」(四国の政庁舎) に入る。そこには事代主のツミハ、大物主のクシミカタマが待っていた。
ツミハ:『鈴苗 有りや』
コヤネ:『嘗て無し 手を空しくす』
クシミカタマ:『翁 植えんや』
コヤネ:『我は臣なり 君 植ゆる 天の真榊 如何にせん 我は宣言 宣んすのみ』
クシミカタマ:『汝 治を棄つや』
コヤネ:『治は棄てず 植ゆを恐れて』
クシミカタマ:『イブキ守かや』ホ28文
天君不在の状況ならやむを得ないとして、大物主クシミカタマがコヤネに真榊の植え継ぎを促す。しかしコヤネはそれを恐れて拒む。そして恐れる理由は「イブキ守か?」とクシミカタマが尋ねているのである。
恐れる理由はよくわからない。この時イブキヌシがこの世に生きているのか、死んで神となっているのかもよくわからない。
しかし後に「ヤマトタケ (日本武尊)」は、伊吹山で「荒ぶる神=イブキ神」に祟られ、それが元で命を落とすのである。
『荒ぶる神の 現るを聞き 剣 解き置き 軽んじて 至る神方に 和幣 無く 行き過ぐ道に イフキ神 大オロチ 成して 横たわる』ホ40文
『"これ汝 あれかた神の 仕ひなり あに求むるに 足らんや" と 踏み越え 行けば イフキ神 ツララ 降らして 明を奪ふ』ホ40文
イブキヌシがどうして「荒ぶる神」と恐れられるようになったのか、ホツマは沈黙している。 ここで頭をかすめるのが、イブキヌシの父ツキヨミのことである。
オモタル時代の末期には種籾の力が衰えて来ていて、米の収穫量が減り始めていた。クニサツチの子に「ウケモチ (保食神)」がいて、その子孫は山背 (やましろ) の花山周辺を治めていた。この一族は先進の農業技術を持っていたらしく、その族長は代々ウケモチの名を世襲したようだ。
アマテルはこのウケモチから、収穫力の高い籾種を得ようと、使者としてツキヨミを派遣する。現地に赴いたツキヨミは、彼らの礼の無い対応 (これはツキヨミの誤解だと思われる) に憤り、ついに剣を抜いてウケモチを殺してしまう。
報告を受けたアマテルは、ツキヨミの臣としての任を解く。これ以降、ツキヨミは歴史から姿を消し、その名を語られることも無くなるのである。
これは臆測にすぎないが、イブフキヌシが荒ぶる神となったのは、このツキヨミの事件が大本に潜んでいるように思えてならない。
もう一つの謎は、イブキヌシとソサノヲの因縁である。
イブキヌシは、ハタレ根を討伐に向かう途中、改心したソサノヲと合流し、共にこれを根絶する。これによってソサノヲは罪人の身分から救い上げられるのである。
一方で、ソサノヲの転生であるヤマトタケは、イブキ神によって命を落とすのである。
ヤマトタケは死後、父の景行天皇の夢に現れ、こう語っている。
『大神 ソサノヲに 曰く "如何ぞ 地 望む" 陽陰法 成せば 地の守 教えの歌に "天が下 和して恵る 日月こそ 晴れて明るき 民の父母" これ 解けず 罪に落つるを イフキ守 率きて守とす ニニキネは この心 以て ほつま 得て 天君となる 羨みて 仮の親子ぞ』ホ40文
この記事が唯一のヒントであるが、奥なる意味は解けていない。
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ツキヨミ神とイフキドヌシ神を読み解く、注目の駒さん解説です。
アマテル神の弟神であるツキヨミとその御子であるイフキドヌシは謎の多い神さまです。ツキヨミは、あまりに唐突に消されてしまいます。御子のイフキドヌシも大活躍が記述される反面、謎の「たたり神」として回想されるのです。ツキヨミを扱った駒さんのブログが第19番でイフキドヌシが第109番と、長く間隔が空いているのも、駒さん自身が謎を追い求めた時間の経過を物語るのでしょう。ですが、確といった理由を突き止めるに到っていません。
「ウケモチ神殺傷事件」という大事件が、その謎の要になっていると駒さんは指摘していますが、その通りでしょう。けれども、
1. この殺傷事件は、ツキヨミの短慮な激昂事件に過ぎなかったのか?
2. 何故、古事記ではこの事件の主体をツキヨミでなくスサノオにしたのか?
3. 四国が本拠であったはずのツキヨミ一族が何故関ヶ原方面に祭られるのか?
4. 高野山という怪人空海が道場を開いた聖地にイフキドヌシ神が隠されている
等といったところに、とらさんは着目するのです。
昨日アップした「全仕事34」でもふれたように、イサナミが生んだとされるウケミタマ(孫?)とアマテル・ツキヨミ兄弟とは、因縁浅からぬつながりがあるのではないか、ととらさんは疑っているのです。
それに、そもそも四国を治めるに到る理由もハッキリしません。フタカミがツクシ(ツキスミ)を巡っていた時に生んだツキヨミですから、本来は「ツキスミ(九州)をヨミ(統み)する人材として期待されていたのでないかとも思うのです。
古事記編纂については、秦氏系(出戻り帰化人系)の思惑が深く浸透していると、とらさんは観ているのですが、その秦氏系からは忌避されて(もしくは特別視されて)いるのではないかと印象を受けるのです。
さらに不思議なのは、父ツキヨミは四国の統治に成功を収め、御子イフキドヌシもニニキネに倣って四国開拓に尽力して成果を上げているように記述されるのに、ツミハやクシミカタマの時代には「トノミヤ(金比羅宮)」にツキヨミ系の子孫神の存在が感じられない。
ついでに云えば、イフキドヌシの配偶神であるタナコは、いわゆる宗像三女神のなかで最も有力で、宇佐に(タナコの御子ウサツヒコと)足跡を残し、安芸の宮島に鎮座している(厳島神社)。つまり、イフキドヌシ系は、瀬戸内海を制覇しているとみることが出来ます。なのに、(男系は)存在が薄く、記紀では消された感があるのです。
そして、もっとも謎めくのは、弘法大師空海が(その埋もれていた神を掘り起こし)、イフキドヌシを高野神として祭る高野山に道場を拓いた、その真意です。
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本編とは無関係ですが、ホツマツタヱを取り上げた番組があったので紹介します。↓ とてもしっかりと纏めていますが、何とラストが、誤謬です、残念。
駒形一登 全仕事 0034
万物と四貴子 2013-01-17 08:10
オモタル・カシコネを最後にクニトコタチから続く皇統は途絶え、神代の日本は滅びる。その後に天つ君となった二神 (イザナギ・イザナミ) は、何もかも始めからやり直さなければならなかった。この作業は一般に「国生み」および「神生み」と呼ばれている。
ホツマの伝えによれば、二神は最初に筑波に宮居し、そこで「ヒルコ (蛭子)」を生んでいる。
『女神には 生り成り足らぬ 陰没あり 男神の成りて 余るもの 合わせて御子を 生まんとて 凹凸の交はひ 為して子を 孕みて生める 名はヒルコ』ホツマ3文
次に都をオキツボ (琵琶湖の西・南の地域) に移し、ヤヒロ殿 (八紘殿) を建てる。その殿に立つ大黒柱を廻って「ヒヨルコ」を淡路島に生むが、早産の未熟児であったので、葦舟に乗せて流す。ヒヨルコの誕生については、これが人間の子なのかどうかもはっきりせず、謎の一つである。記・紀ではヒヨルコを「ヒルコ」にすげ替えている。
『月 満てず 胞衣 破れ生む ヒヨルコの 泡と流るる これも未だ 子の数ならず 葦船に 流す淡路や』ホツマ3文
二神はヒヨルコの失敗の原因を正し、再び八紘殿の柱を廻る。これにより国土の八島を始めとして、海・川・山の幸、木祖のククノチ、茅の姫、野槌など、万物を生む。ここでの「生む」というのは、オモタル政権の断絶によって、一旦は果てた日本の「再生・再興」という意味だろうと思うが、これがいわゆる「国生み」である。
『和してアワを 胞衣として ヤマト秋津洲 淡路島 伊予阿波二名 隠岐三子 筑紫 吉備の児 佐渡 大島 生みて海・川 山の幸 木祖ククノチ 茅の姫 野槌も生りて』ホツマ3文
その後二神は、ハラミ山 (富士山) 麓のサカオリ宮に都を移し、ここで待望の世嗣御子「アマテル」を生む。
『陽陰歌に 治むハラミの 宮に居て 既に八州の 地 生みて 如何んぞ君を 生まんとて 日の神を生む その御名を 大日霊貴とぞ 称えます』ホツマ3文
二神はその後筑紫に渡り「ヲトタチバナのアワキ宮 (復橘の央き宮)」で、「ツキヨミ (月読命)」を生む。
『二神は ツクシに行きて 生む御子を ツキヨミの神』ホツマ3文
『魂の緒 留む 宮の名も 復橘の央き宮 御子 生れませば モチキネと 名付けて』ホツマ5文
二神は最後に「ソサ (紀州)」に到り、そこで「ソサノヲ (素戔嗚尊)」を生む。
『ソサ国に生む ソサノヲは 常にお猛び 鳴き騒ち』ホツマ3文
アマテル・ツキヨミ・スサノオ の3人を一般に「三貴子」と呼んでいる。それは記・紀が、故意かどうかはわからんが「ヒルコ」を「ヒヨルコ」に替えて抹殺しているからで、ホツマでは「三貴子」ではなく「四貴子」なのである。四貴子はみんな、イザナギ・イザナミの正常な男女の営みで生まれて来たものである。
二神の「神生み」はここで終わらない。
イザナミはソサノヲが熊野の山林に放った火を、向かい火を打って消そうとして、火の神の「カグツチ (迦具土神)」を生む。ところがこのカグツチの火によって、イザナミ自身が死んでしまうのである。死の間際に、土の神「ハニヤス (埴安姫)」と水の神「ミヅハメ (網象女)」を生んでいる。
(そのカグツチとハニヤスが結んで「ワカムスビ (稚産霊)」を生むが、これは別名を「ウケミタマ (宇迦御魂神)」という。)
『ミクマノの みやま木 焼くを 除かんと 生む 火の神の カグツチに 焼かれてまさに 終る間に 生む 土の神 ハニヤスと 水 ミツハメぞ』ホツマ5文
『カグツチと ハニヤスが生む ワカムスビ 頭は蚕・桑に 臍はソロ これ ウケミタマ』ホツマ5文
死んだイザナミを、イザナギは神となって (幽体離脱して) 追ってゆく。これを追い返そうとイザナミは「八人のシコメ (黄泉醜女)」を生み放つ。 (熊野神社の三本足のカラスは、これの化身と思われる。)
『その夜また '神行き'見れば "要真 容れず 恥 見す 我が恨み シコメ 八人に 追わしむる"』ホツマ5文
これに対してイザナギは、桃の実を投げて対抗する。イザナギはシコメを撃退した桃に「オフカンツミ (意富加牟豆美命)」という名を与えた。
『桃の木に 隠れて桃の 実を投ぐる てれば退く 葡萄 緩く 櫛は黄楊 好し 桃の名を "オフカンツミ" や』ホツマ5文
現し身に戻ったイザナギは、音無川に禊ぎし、この時「ヤソマガツヒ (八十禍津日神)」と「カンナオヒ (神直日神)」「オオナオヒ (大直日神)」を生む。
『穢・醜めきを 濯がんと オトナシ川に 禊して ヤソマガツヒの 神 生みて 曲り 直さん カンナオヒ オオナオヒ神』ホツマ5文
後にイザナギは筑紫に行き、まず「ナカガワ」に禊ぎして「底ツツヲ・中ツツヲ・表ツツヲ」の三守を生み、これをカナサキに治めさせる。
『筑紫央きの 禊には ナカガワに生む 底ツツヲ 次 中ツツヲ 上ツツヲ これ カナサキに 政らしむ』ホツマ5文
これは「イザナギが筑紫のアワキ地方を清掃 (平定) して、底ツツヲ・中ツツヲ・上ツツヲの3人を国守と定め、さらにカナサキという人物にその3国を統括させた」というような意味である。
続いて同様に、「アツガワ」を平定して「底ワタツミ・中ワタツミ・上ワタツミ」の三守を生み、これをムナカタに治めさせる。
さらに「シガ海」を平定して「シマツヒコ・オキツヒコ・シガ」の三守を生み、これをアヅミに治めさせる。
『またアツガワに 底と中 上ワタツミの 三守 生む これ ムナカタに 政らしむ』ホツマ5文
『またシガ海に シマツヒコ 次 オキツヒコ シガの守 これはアヅミに 政らしむ』ホツマ5文
以上すべてが、イザナギ・イザナミの生んだものである。
ホツマは「ヨロモノ (万物)」と呼んでいる。
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筑紫への旅やら、芦ノ湖巡りや、神社総代会やら、三つ峠ミネイリ、大嶽山例祭参席、金時山お稽古ミネイリ等が連発して、しばらく更新が出来ていませんでした。
お花見の季節もお終いですが、新年度もどうぞよろしく♡
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さて、今回は、駒さんがイサナギ・イサナミの「国生み・神生み」を整理して解説してくれています。
要点は、
1. イサナギとイサナミに「改めて」国生み・神生みの必要があったわけ
2. 三貴子ではなく、真実は四貴子であり、宮は五宮であるわけ
3. カグツチ火とミツハメ水とハニヤス土を生むと云う不思議
4. カグツチとハニヤスが結ばれてワカムスビが生まれウケミタマとなる
5. イサナギのツクシ往きとアワギハラでの禊ぎ
です。
なかでも、とらさん的に、興味が尽きないのは、3.と4.のクダリです。
① 何故に、「火水土」は(イサナミ単身で)生んでいるのに、五大のうちの「空風」の誕生については、話が無いのか?
② 何故に、ワカムスビは、カグツチとハニヤスから誕生するのか? カグツチ火は雄でハニヤス土は雌なのか?
③ イサナギが、筑紫で三名の国守を二組み生んだと(後段に)いうのなら、イサナミも熊野で三名の国守を生んだという(前段の)話ではないのか?
④ ワカムスビは、ウケミタマ (宇迦御魂神)とも呼ばれアカヒコとも呼ばれるようになるが、それらは農耕、殖産、養蚕と関係するご神徳である。であるならば、ウケモチ(保食神)とのつながりがあると観て間違いないのではないか?
⑤ ウケモチ神はハコクニ神と同様にトコヨ神の子であるとされる。実は、ワカムスビ神は、カグツチ(男神/国守)と「誰か女神」との御子であり、カグツチは、ウケモチ神系の血統をもつ何者かではないか?
⑥ つまり、このクダリで、唐突にイサナミ単身の神生みが語られているのは、NAVI彦さんが指摘するように、秘め事のボカシ表現なのではないか?
⑦ もしもそう仮説をとると、後にツキヨミがウケモチ神を殺傷してしまうのは、深い因縁のあることなのではないか? (ホツマ伝承では、あまりに短慮激昂な事件としてだけ表現されている)
⑧ イサナギが、穢れの禊ぎの為にわざわざツクシ(九州)へと御幸されているのは、イサナミの「過ち」の禍根を断つためには、ツクシ(九州)を確実に抑える必要があったからではないか? つまり、ワカムスビの血統(= カグツチの血統 = ウケモチの血統)には、ツクシ系の高貴な筋がつながっていたのではないか?
などと、妄想してしまうのです、、、、、
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さて、祖先崇拝は、われわれ日本人の根幹を成す基層哲学(信心)ですが、そのことを、下記動画 ↓ で、かなりわかりやすく解説しています♡
「菌」のことも、「ウマシアシガイヒコチ神」(十一神)と捉えるとホツマ的にも納得するところがあります。
駒形一登 全仕事 0033
東西南北 2013-01-16 10:19
ホツマ・ミカサは、どちらも東西南北の名の由来から話がスタートする。
その理由をミカサは冒頭に説明している。
『東西の名を 教えの初と なす故は 今 我 生める タラチネの 先の御祖も ことごとく 陽陰の種なり その上の 天地 開け 現る神の ミナカヌシより 計り無き 人種 分かれ 貴きも 尊も彦も 現る道を 治め 収むる 人の身は 日月の映に 養われ 恵み 知らせん そのために 出で入る東西を 教ゆなり』ミカサ1文
初めて読む人には、この文章は相当に難解だと思う。
ホツマが伝える「天地開闢」のプロセスを知らなければ理解は困難だろう。
ポイントは、 陽陰=天地=日月 陽 (空・風・火) + 陰 (水・埴) =人 である。
まあそれはともかくとして、ホツマ1文・ミカサ1文は、東西南北の名の由来を次のように説明する。
『日の出づる かしらは東 猛昇る』
「かしら」は「頭」ではなくて、「発する所・起る所・昇る所」の意である。
「かす (離す/上す)」+「ら (所)」。
まあ「頭」も「上部」という意だから、源は同じなんだが。
「日が離す/上す」から「ひかし (東)」ということである。
『猛昇る』は「日の出の勢い」ということを言っている。
『皆 見る 南』
『みんなが見る』から「みなみ (南)」
これは少しこじつけ臭いが、人が南を向くという記述が他所に数ヶ所見られる。
また家屋は正門を南向きにした。
後に出てくるが、南は繁栄を象徴する。繁栄・繁盛している状況は、注目されるということである。
『日の落つる 西はにしづむ』
「に (熟・煮)」+「しつむ (沈む・静む)」。
「に」は「にる (熟る・煮る)」の連用形 (上一段)。
「にる」は「熟す・満ちる・至る」などの意。
ちなみに夕日の色の「に(丹)」も「に(熟・煮)」と同じで「熟成の色」という意。
「日が熟沈む」から「にし (西)」。
『宮の後を 北と言ふ』
『もし人 来たり 応わけん 会わねば北よ 会ふば日方』
ホツマの「きた (北)」の説明は、説明になっていないように思う。
筆者が気付いていないだけかもしれないが。
筆者の考えでは、「きた」は「きつ」の名詞形。
「きつ」は「くつ (朽つ)」の変態で、「衰える・果てる・退く」などの意。
「きた (北)」は、「(日が) 退く方角」の意。
こんなことも言っている。
『米と水 釜に炊ぐは 火頭や 煮え花 皆見 煮え静む』
[ 米と水を火の上にかける。はじめは熱を吸収するだけだが、その内にぶくぶくと盛んに泡を吹き上げる。おもしろいので皆これを見る。さらに炊き続けると、水分が蒸発して静かになって炊き上がり、そして食われてしまう。]
これは、万物万象は「生 → 盛 → 熟 → 枯」 のサイクルを繰り返すことを言っている。先程は太陽の変遷でこれを説明したが、ここでは炊飯のプロセスで説明しているのである。
この意味では「東-南-西-北」は「春-夏-秋-冬」とまったく同じである。
さて「東西南北」にはもう一つ、「き・つ・さ・ね」という言い方がある。
『夜は寝る故 北は "ネ" ぞ』
「寝る」とは「低まる・静まる・衰える」などの意である。
『南に事を 分きまえて 落ち着くは西 帰る北 ネより来たりて ネに返る』
『木は春 若葉 夏 青葉 秋 熟えもみぢ 冬 落葉』
これも「生 → 盛 → 熟 → 枯」のサイクルを言っている。 (無より始まり無に帰する。)
『ね (根) は北に きざす東や 南にさかえ つ (果) は西 付くる』
草木の根は、北に伸びるから、北を「ね」言う。
若枝は、東に萌すから、東を「き」と言う。
枝葉は、南に栄えるから、南を「さ」と言う。
つ (果) は、西に付けるから、西を「つ」と言う。
したがって「きつさね」には「東西南北」よりも、「起尽栄寝」とか「起至栄退」の方が、より原義を反映するかもしれない。
「きつさね」もやはり「生 → 盛 → 熟 → 枯」の概念から来ているのである。
「東西南北」に加えて「中心・中央」の概念がある。
『"ヲ" は君の 地 治むれば "キツヲサネ (東西央南北)" 四方と中なり』
"ヲ (央)" は、「中心・中軸・本源・核」の意で、「王・皇」もこれである。
「中心に在って四方を治める位置」を表し、これが至高の地位である。
だから元来日本も中華思想なのである。
参考サイト:http://gejirin.com/mitinoku.html
:http://gejirin.com/hotuma01.html
:http://gejirin.com/mikasa01.html
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「キツヲサネ」を解説する駒さんのかなり難解な読み解きです。
東西中央南北そのものは、何も難しくはないのですが、何故、その主題が全章の冒頭にくるのか。何故、ヒトの学びの初めが、「キツヲサネ」なのか。この初アヤは、ウタの神髄を伝えるアヤでもあるのに、何故それが、方角となるのか。そこを掘り下げて考えていくと、迷宮に入り込むような思考挑戦を受けているようです。
ミカサフミでは、
『東西の名を 教えの初と なす故は』云々と、何故この教をまず説くのかの理由を明らかにしているのですが、その文章そのものが、
>初めて読む人には、この文章は相当に難解だと思う。ホツマが伝える「天地開闢」のプロセスを知らなければ理解は困難だろう。(駒形)< なのである。
天地開闢、が鍵となるというのです。ワォ!
ホツマツタヱの世界観、宇宙観、生命観は、「めぐり」と「メヲ(陰陽)」の二本柱で成り立っています。
東西南北を四季の巡りと重ねて理解することは、東洋思想に馴染みがある我々には、馴染みがあります。春は花咲き、夏繁り、秋は稔って、冬は雪に包まれ再生を待つ。その巡りが、春は東、夏みなみ、秋は西で、冬は北、と現代人は疑問を持たず承知しています。けれども、それでは、東南西北、トンナンシャペイです。実は、シナの感性なのでした。
本朝においては、東南西北ではなく、キツサネ、即ち東西南北なのです。これは、東西と南北に「ヲメ(陽陰)」を捉えて理解する感性があったことの証左と思われます。
さらに、その本質は東西南北ではなく、東西「央」南北(キツ「ヲ」サネ)なのですから、その捉え方の中には、「中心」と「周辺」へのまなざしが据えられているのです。
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実は、まさに今、編集作業の大詰めを迎えているとらさん編集の研究同人誌『検証ほつまつたゑ』138号(令和7年4月号)では、NAVI彦さんが、「ホツマ歌謡論」の大変興味深い論考を寄稿されています。このキツヲサネも、目からウロコが落ちるオドロキの視点で読み解いています。
ここで、紹介したいところですが、刊行前ですので、しばらくお待ちくださいませ (*^O^*)
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本論とは無関係ですが ↓ 敬愛する張陽さんの動画が興味深いです。トランプ大統領と、その古い友人との関係、そしてイーロンマスク率いるDOGE創設の秘密が語られています。とっても面白い。動く改革とは、こんなイメージなのだなあ、と感心します。そして、改革者の精神というものを知ることが出来ます。
駒形一登 全仕事 0032
天照大御神 2013-01-16 02:03
オモタル・カシコネは、姉妹国ヒタカミの協力も得て、ほぼ日本全土の統一を完成していた。しかしこの天君 (中央政府の総帥) には世継ぎの御子が生れることがなく、ミナカヌシ以来続いた皇統はついに断絶する。中央政府を失った日本は、次第に荒廃していった。
タカミムスビのトヨケ (豊受大神) は、この窮状をなんとかするため、暫定的にヒタカミをタカマ (中央政府) とし、本家の立場を引き継いで日本全土を総括した。トヨケは、自分の娘のイサコ (伊弉冉尊) と、根国を治めていたアワナギの子のタカヒト (伊弉諾尊) を結婚させ、その子を以て天君とし、真の中央政府を復活しようと図る。
こうして夫婦となったイザナギとイザナミは「天地つ日月の君」となり、近江の「オキツボ」を都とする。「ヤヒロトノ (八尋殿・八紘殿)」を建て、ここを中心として全国を巡り、退廃した日本に再び「経矛の道 (法と戒の道)」を敷き、臣民を指導し、産業を復興させてゆく。二神の尽力の甲斐あって、中央部から地方へと法による秩序がしだいに回復して行き、産業の復興も軌道に乗り始めた。
この時点で、イザナギ・イザナミの二神にはすでに「ワカ姫 (蛭子)」が生まれているが、まだ世嗣の御子は生まれていない。オモタル・カシコネの記憶がまだ生々しい時だけに、二人は世嗣の重要性を痛いほどに感じていた。
ミナカヌシに始まるクニトコタチの皇統がオモタル・カシコネで断絶し、その後を受けて天つ君となった二神の立場は苦しい。「妥協の暫定政権」とでも言うべき立場である。二神の世嗣にはクニトコタチに匹敵する高貴さが要求される。並の世嗣では世の臣民は納得して服わないだろう。二神を「天地つ日月」に仕立てたトヨケもそのことを痛感していた。
トヨケは「ツキカツラキの斎鳥山」(山形県の鳥海山) に「世嗣社」を建て、二神の世嗣に尊い神が降誕することを願い、8,000回の禊を以て根源神「アメノミヲヤ (陽陰の上祖)」に祈る。豊受神の別名「大物忌大神」は、トヨケが行った「8,000回の禊」を示す名前である。
トヨケの願いは聞き届けられ、根源神アメノミヲヤの左右の眼に相当する、日と月 (太陽と太陰) の神霊が、二神の御子として降誕することになったのである。
『ツキカツラキの 斎鳥山 世嗣社の 色垂は アメノミヲヤに 祈らんと トヨケ 自ら 禊して 八千座 契り』ホツマ4文
『神祈 通りてぞ アメノミヲヤの 眼より 漏るる日月と 天元神 三十二の神の 守る故 子種 成ること 覚えます』ホツマ4文
『イサナギは 天地を領らする 現の子を 生まん思ひの マス鏡 両手に日・月 擬らえて 神 生り出でん 事を請ひ 頭 回る間に アグリ 請ふ』ホツマ4文
こうした世の切望を受けて、太陽神霊と太陰神霊が人として下生したのが、アマテル神 (陽陰垂る神) 、つまり天照大御神である。96月の妊娠期間を経て、胞衣に包まれたまま、一月一日の初日の出現と共に誕生している。
『孕めども 十月に生まず 年月を 経れども やはり 病めるかと 心 傷めて 九十六月 やや備わりて 生れませる アマテル神ぞ』ホツマ4文
『二十一鈴 百二十五枝 年 キシヱ 初日 ほのぼの 出づる時 共に生れます 御形の 円の保籠 訝かしや』ホツマ4文
アマテルは人間の男子の肉体に宿り生まれるが、いにしえのクニトコタチ同様に陽陰両性を併せ持つ。アマテルの別名を「イセの神 (妹背の神)」と言う理由はここにある。 (イセ=イモセ=妹背=女男=陰陽=地天) しかしアマテルの場合は、陽陰の本源核心である太陽・太陰の直接顕現であるという点で別格である。アメノミヲヤ・ミナカヌシ・アマテルは三位一体の関係にあると言っていいと思う。現にアマテルを指して、アメノミヲヤと呼んでいる箇所が存在する (ホツマ12文)。
アマテル誕生の前後の話は、ユダヤの地でエッセネ派が救世主の降誕を待望した時の状況に非常によく似ている。元日というのは本来は冬至の翌日を言い、クリスマスと同じ日なのである。冬の暗寒の極みの翌日であり、春の訪れの日である。たしか釈迦もこの日に生まれたとする伝承があった思う。
アマテルを包んでいた胞衣を、位山の「一位の笏 (さく)」で切り裂く。
『尊の結戸を 開らけとて 一位の木の 笏 以ちて 今こそ開く 天地の戸や』ホツマ4文
『位の山の イチヰ笏 世に存えて 笏持つは 上の穂末ぞ』ホツマ4文
イザナギの妹の白山姫は、この赤子の泣く声を解読できたらしく、名を尋ねると「ウヒルキ」とアマテルは答えたという。
『叔母姫が 越根の国に 御衣 織りて 奉る時 泣く御子の 声 聞き取れば “あな嬉し” これより諸が 名を請ひて 叔母より問えば “ウヒルキ”と 自ら答ふ』ホツマ4文
『御子の声 聞き切る時は 幼名の "ウ" は '大い' なり "ヒ" は日輪 "ル" は日の霊魂 "キ" は熟ぞ 故 大日霊貴の 尊なり "キネ" は女男の 男の君ぞ』ホツマ4文
この「うひるき (大日霊貴)」に、日本書紀は「大日孁貴」と漢字を当てて「おおひるめのむち」とし、天照大御神が女神だとする論に整合させている。しかし「ひる」とは「日 (陽) のエネルギー」の意であり、これを「日孁」とするならば、日 (陽) の属性そのものが陰だという、根本的な矛盾を招いてしまっていることに気づく。
アマテルが生まれたのは、ハラミ山 (富士山) の麓の「サカオリ宮」である。ハラミ山は「ウヒルキ・オオヒルキ」の誕生に因んで「大日山」「日の山」また「大山」という名を持つようになる。
『時 二十一鈴 百二十五枝 三十一 キシヱの 初日の出 若日と共に 生れませば 斎名ワカヒト 産宮は ハラミサカオリ』ホツマ28文
16歳までハラミサカオリ宮で育つが、その後はヒタカミのトヨケのもとで教育されることになる。アマテルの住む宮の八方に黄金が放出するので、トヨケは「ワカヒト」と斎名を奉る。
『トヨケにて 天御子 養す 物語り 召す出車を ヒタカミへ』
『御子の光の 照り徹り 八方に黄金の 放さけば 日の分宮の ワカヒトと トヨケ 斎名を 奉る』ホツマ4文
そして21鈴126枝サナト3月1日、アマテルはハラミ山麓に戻り、サカオリ宮をヤスクニ宮に改めて即位する。この日付は、アマテルがこの時87歳であることを意味するが、別の箇所には、ヒタカミ滞在は30年とする記述もある。
『二十一鈴 百二十六枝 年 サナト 三月一日 日の山下 新宮 造り 天御子は ヒタカミよりぞ 移ります』ホツマ6文
『到る ワカヒト ヒタカミの 陽陰の宮にて 道 学ぶ 三十年に知ろし 宮 造り 大日山下に 政 執る』ホツマ28文
こうしてアマテルは「天地つ日月 (あまつひつき)」となった。これは「天地照らす君 (あまてらすきみ/天照らす君)」と同義である。「日月」=「キミ」である。人に男女の別が起ったモモヒナキ・モモヒナミからイザナギ・イザナミまで、「天地つ日月の君」は常に夫婦一組のペアでその機能を担ってきたが、陽陰両性を併せ持つ妹背神アマテルの場合は、一人で事足りるのである。
『地人の 陽陰垂る神と 喜びの 眉も開くる 言い慣らし タラチネ神は ただ一人 妹背神の 霊を生みて』ミカサ逸文
『民に 緒を届け 陽陰を束ねて 日月 為す 裳裾を汲め と 君・民の 教え 残して 天に還る』ホツマ28文
したがって「あまてらすかみ」は普通名詞であり、アマテル一人を限定する名称ではない。歴代の「天君」「天皇」は全部「あまてらすかみ」である。しかし「あまてらすおおみかみ」はアマテル一人を指す固有名詞である。
また「あまてらすかみ」と「あまてるかみ」は意味が違う。「あまてるかみ」は「陽陰垂る神」で、「日月 (陽陰) が降誕した神」が原義である。もちろん「天地を照らす日月」の意味も持ってはいる。
世に生きている人間を「かみ」という場合は、「上・頭・守」の意味なのだが、唯一の例外が「アマテル神」である。アマテル神だけは「人として地に生きる神」なのである。
ここに、クニトコタチを上回る最高神を天つ君に冠して、日本の中央政府が復活した。
参考サイト:http://divinehuman.blog.fc2.com/blog-entry-20.html
:http://divinehuman.blog.fc2.com/blog-entry-21.html
:http://gejirin.com/hotuma04.html
:http://gejirin.com/hotuma28.html
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コメント
「アメノミヲヤ・ミナカヌシ・アマテルは三位一体の関係にあると言っていいと思う。」
と書かれていますが、ヲシテ文献のどのアヤからこのように読み取れるのでしょうか?
別の方の翻訳書では、ミナカヌシの生まれ変わりがクニトコタチやトヨケだと書かれています。
読者 | 2013-07-30 05:32 | 編集
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『アメノミヲヤの 眼より 漏るる日月と 天元神 三十二の神の 守る故 子種 成ること 覚えます』ホ4文
『地人の陽陰垂る神と 喜びの眉も開くる 言い慣らし タラチネ神は ただ一人 妹背神の 霊を生みて』ミ逸文
『右の小児を 天に上ぐれば 神の前 枝 揃わねば 退らんとす アメノミヲヤは これを褒め』ホ12文
『空・風・火と 水・埴の 五つ 交わりて 人となる アメナカヌシの 神はこれ』ホ14文
『八方 万地に 万子 生み 皆 配り置く 人の初 天に還りて アメミヲヤ』ホ14文
御預二号 | 2013-07-30 08:21 |
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天照大御神の登場です。思えば、我が国の最高神でありながら、古事記や日本書紀などの記述では、その誕生やご神徳、偉大なるご業績というものが何ひとつ語られていません。おかしな話ですね。
天照大御神は、日の神です。太陽神であり、陽のエネルギーを輝かせる御神格です。アマテル神は、ご誕生に際して、ご自身の名前を表明されます。それが、「ウヒルキ」。
> この「うひるき (大日霊貴)」に、日本書紀は「大日孁貴」と漢字を当てて「おおひるめのむち」とし、天照大御神が女神だとする論に整合させている。しかし「ひる」とは「日 (陽) のエネルギー」の意であり、これを「日孁」とするならば、日 (陽) の属性そのものが陰だという、根本的な矛盾を招いてしまっていることに気づく。 < と、駒さんは指摘します。鋭い一撃ですね。
(ところで、駒さんがアマテル神を漢字表現では、よく「天照大御神」と記述されるのは、アマテル神が、しばしば「ヲヲンカミ」と記されるからだろうと思います。特別な神なのです。)
> 世に生きている人間を「かみ」という場合は、「上・頭・守」の意味なのだが、唯一の例外が「アマテル神」である。アマテル神だけは「人として地に生きる神」なのである。 < 駒さんは、アマテル神だけは、「まさに真実の現人神」であると捉えています。
アマテル神は「アラヒト神」なのか。
とらさんは、(たとえアマテル神が、特殊な生まれ方をして、誕生そうそう本名を名乗る奇瑞があったとしても)アラヒト神として生まれたのではないと思っています。けれども、岩戸開きで再臨された時に、「天照らします大御神」と称えられたその時にまさに、「アラヒト神」と成られたのだと観ています。
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さて、アマテル神が、現代に再臨されたならば、きっと必ず感嘆のため息を漏らし、「もはや伊勢の道は絶えたのか」と嘆かれるだろうであろうテーマが、こちら ↓ です。
駒形一登 全仕事 0031
嫁ぎ 2013-01-15 12:13
「とつぐ」は「嫁ぐ」と漢字が当てられているので、「妻となる女が、夫となる男の家に移り住む」というイメージが強いが、元来は違う。
「とつぐ」は「とつ(閉づ・綴づ)」と「つく (付く・接ぐ)」が連結した複合動詞。
どちらも意味は同じで「合わす・交える・結ぶ」などの意。
「とっつく (取っ付く)」「とりつく (取り付く)」なんかと同じである。
したがって「とつぎ」は「交合・交接」であり、つまりは「性交」である。
だから行為としては「みとのまぐはい (凸凹の交わい)」と同じである。
「みと」は、おもしろい単語で「女性器単体」「男性器単体」「男女の性器」のすべての意を表す。
「ひよるこ」のページで、ヤヒロ殿の中柱を廻って万物を生もうとした二神は、はじめに「ひよるこ」という失敗作を生んだことを書いた。記紀では「ひよるこ」は「ひるこ」にすり替えられ、ヒルコ姫はその時点で歴史から姿を消した。
二神の行ったことは、こうである。
『二柱 うきはしに熟る オノコロの 八紘の殿に 立つ柱 回り生まんと 言挙げに 女は左より 男は右に 分れ 回りて 会ふ時に 女は "あなにえや ゑをとこ" と 男は "わな嬉し ゑおとめ" と 歌ひ』ホツマ3文
二神は失敗の理由がわからなかったので、天 (中央政府) に伺いを立ててみた。
『ある形 天に告ぐれば フトマニを 味わえ曰く "五・四の歌 言を結ばず 言挙げも 女は先き立てず"』ホツマ3文
すると、フトマニの48音 (四十八神) に鑑みて云わく、「五・四調の歌は言葉を実現しない。言葉を発するにしても、女が先に発してはいけない」。こういう回答だった。さらに、
『とつぎとは 雌のニワナフリ 尾 搖れ 鳴く 雄鳥 鳴き去る またある日 雄鳥 装ふ 雌が知りて 合ひ交われば 天地よりぞ 鳥に告げしむ とつぎ法』ホツマ3文
メスのセキレイの方から尾を上下に振って求愛すると、オスは鳴き逃げてしまった。別の時、オスの方が尾羽を開き翼を下げて求愛した。それを見てメスはオスと交わり、交尾が成功した。天神がトリを使って人に交合の作法を告げている。だから「とつぎ」と言うのだ。
「う~ん、そんなもんかぁ」と、二神はやり方を改めて再び中柱を回る。
『二神は 新たに回り 男は左 女は右 回り 会ひ 歌ふ 天のアワ歌 "あなにゑや 美し乙女に 会いぬ時" 女神 応えて "わなにやし 美し男に 会ひきとぞ"』ホツマ3文
変更点:
(1) 今回は男が時計回り、女を反時計回りとした。(前回は逆)
(2) 今回は男が先に歌った。(前回は逆)
(3) 今回は歌の形式を「五・七・七」とした。(前回は「五・四」)
変更点についての考察:
(1) アメノミヲヤが天地創造する時、水に油が浮かぶように浮んでいた天元神は、時計回りに回転を始める。上部にある軽い成分 (油・陽) が時計回転するならば、下部にある重い成分 (水・陰) は相対的に反時計回りの回転をしていることになる。
(2) 『生の一意気 全かにて 水に油の 陰陽 分かれ 陽 まず 上りて 天となり 陰は 後 下り』ホツマ16文 とある。
(3) 『ハナキネは 五・七に綴るを 姉に問ふ 姉の答えは "陽陰の節"』ホツマ1文 とある。しかしなぜ「五・七調」が陽陰の節なのかは不明。
この改良は功を奏し、二神は国土の八島を始めとして、海・川・山の幸、木祖のククノチ、茅の姫、野槌など、万物を生むことに成功したのである。
二神の八紘殿の中柱を廻っての「国生み」は、原初の時にアメノミヲヤが行った創造プロセスを、地上において再現したものなのであろう。
参考サイト:http://gejirin.com/hotuma03.html
:http://divinehuman.blog.fc2.com/blog-entry-22.html
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「とつぎ」を駒さんが、解説します。
>「妻となる女が、夫となる男の家に移り住む」というイメージが強いが、元来は違う。<
この思い込みは、「嫁ぎ」という漢字表記による固定観念です。本来は、陰陽和合を象徴する、ある種の「神事= カミゴト」なのです。
「みとのまぐはい」と古語で云うところの性交を、行為としては意味するのですが、その求めるところの真実は、宇宙創成、生命誕生と関わる崇高な結びつきなのです。「神事= カミゴト」である故に、そこには作法があり、決め事、段取りを誤ると、本来の成果を生むことが出来ないとホツマツタヱは記します。
「とつぎ」を「とづ」「つぐ」の合体と駒さんは読み解きますが、はて、ここは難しいところです。「みとのまぐはい」の「と」と、「とつぎ」の「と」は、やはり重なると考えるのがなめらかでしょう。「と」は「門/戸/口」であり、やはり女性性が高いと、とらさんは観ます。つまり「と」とは「ホト」であり、女性器であり、子宮への入口です。そこへ、「突く」「接ぐ」「嗣ぐ」ことが、「とつぎ」であると丸く考えたいところです。
他方で、「と」は「斗の教ゑ」の「ト」ともつながります。つまり、「とつぎ」とは、「斗の教ゑ」へ「つながること」「告ぐ/合一を遂げる」ことでもあるわけです。
ここは重要です。とらさんは、「斗の教ゑ」の「ト」とは、「トコタチ」の「ト」であるとともに「ホト」の「ト」であると、そもそも考えています。「メ(陰)にヲ(陽)が合一/不二と成る」こと(によって永遠の巡りと結ばれること)が、最も大切と「斗の教ゑ」は伝えていると観るからです。タントラ密教で悟りや涅槃の境地を陰陽合一に表現することと同じです。
これ故に、「みと」とは、「凸凹」だけではなく、「御斗」であり、「身門」でもあるわけです。さらに、神学的には「三つの門」でもあり、「天地人の結節点」という象徴的意味がそこに潜んでいると観ることが出来ると思います。つまり、「みとのまぐはい」によってメヲ(女男)は「とつぎ」、イノチの精華を輝かせてヒトとしてアメツチと合一することが出来るわけです。
抱(いだ)けば宇宙と結ばれる、のです。
そんな大切なカミゴト(神事)を、小鳥さんから教わるという物語は、何とも大らかで、縄文の風儀を如実に伝えるクダリですね。
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本論とはいつも通り無関係ですが、仏教の起源と、キリストの出自とは、深くつながる物語があり、それは、縄文人やアメナル道との関わりも見え隠れします。この方の筋立ては、↓ 「持っていこうとする方向が、とらさんとは逆張り」なので、視聴を積極的にオススメするものではありません。しかしながら、「逆張り陰謀論」を理解するには良い素材を提供してくれています。小説『アマテラスの暗号』等に通じるところがありますね。
駒形一登 全仕事 0030
ひよるこ 2013-01-15 07:17
「ひよるこ」は、ホツマツタエだけに登場する。
一応イザナミが生んだ子なのだが、謎も多い。
イザナギとイザナミはコトサカノヲを「うきはし (仲人)」として夫婦となる。
この夫婦を特に「ふたかみ (二神)」と呼んでいる。
この「かみ」は「上位・上流・源」の意で、本来は「上・頭・官」などの漢字を当てるべきなのだが、慣例に従い「二神」としている。
また「ふたはしら (二柱)」「あめふたかみ (天二神)」と呼ばれる場合もある。
「神」は通常、神霊 (肉体を持たないもの) を指す。だから基本的に世に生きる人間を「神」とは呼ばない (ただし唯一の例外を除く)。
しかしその人間も、世を去れば「神」と呼ばれることになる。
はじめ、二神は筑波のイサ川 (今の桜川と思われる) の畔のイサ宮に住む。
ここで「みとのまぐわい (凸凹の交わい)」によりヒルコ(蛭子) を生んでいる。
ヒルコは3歳になる年、両親が42歳と33歳の厄年に当たっていたため、その厄が子に及ばぬようにと、イワクス船 (斎奇船/穢朽す船)に乗せて流される。重臣のカナサキがそれを拾い上げ、西宮の廣田宮で育てる。
その後二神は、近江「オキツボ」の「オキツ宮」に移る。
ここに「ヤヒロ殿 (八紘殿)」を建て、ここを国家再建の中心拠点とする。
二神は、このヤヒロ殿に立つ中柱 (大黒柱) を廻って、国土の八島を始めとして、海・川・山の幸、木祖のククノチ、茅の姫、野槌など、万物を生む。
「生む」というのは、オモタル政権の断絶によって、一旦は果てた日本の「再生・再興」という意味だろうと思う。
しかしそうなる前、ヤヒロ殿の中柱を廻ることによる国生みは、一度失敗しているのである。
ホツマの記述を見てみよう。
『二柱 うきはしに熟る オノコロの 八紘の殿に 立つ柱 回り生まんと 言挙げに 女は左より 男は右に 分れ 回りて 会ふ時に 女は 「あなにえや 愛男子」と 男は 「わな嬉し 愛乙女」と 歌ひ孕めど 月 満てず 胞衣 破れ生む ヒヨルコの 泡と流るる これも未だ 子の数ならず 葦船に 流す淡路や』ホツマ3文
ヤヒロ殿の中柱を廻って、二神がぶつかる時に歌を歌う。
これによってイザナミは孕むが、流産してしまう。
この流産した未熟児が「ひよるこ」で、淡路にて葦船に乗せて流す。
しかしこの話、どこかで聞いたことがある。
【古事記】
『爾くして伊邪那岐の命、「然あらば吾と汝と、この天の御柱を行き迴り、逢いてみとのまぐはひせん」と詔りき。かく契りてすなわち、「汝は右より迴り逢え、我は左より迴り逢わん」と詔らして、契り終えて迴る時に、伊邪那美の命 先ず「あなにやし えおとこお」と言い、後に伊邪那岐の命「あなにやし えおとめお」と言い、おのおの言い終えし後に、その妹に告げて曰く、「女人の先に言えるは良からず」。しかれどもくみどに興して生みし子は水蛭子(ひるこ)。此の子は葦船に入れて流しうてき。次に淡嶋を生む。是もまた子の例に入れず。』
【日本書紀】
『即ち将に天柱を巡らんとして、契りて曰く、「妹は左より巡れ、吾は右より巡らん」。既にして分れ巡り遇う。陰神(めかみ)すなわち先ず唱えて曰く、「あなにえや、可愛少男(えおとこ)を」。陽神(おかみ)後に和して曰く、「あなにえや、可愛少女(えおとめ)を」。遂に夫婦(みとのまぐあい)して、先ず蛭兒(ひるこ)を生む。すなわち葦船に載せて流しき。次に淡洲を生む。此は亦、兒の數にいれず。』
「ひよるこ」が「ひるこ」に化けている!
記紀においては、この時点で「ひるこ」は消滅するわけである。
これが、ひるこ (別名:稚日女尊/稚日靈女尊/下照姫/丹生都比賣大神/御歳神) の事蹟が歴史に残っていない理由である。
参考サイト:http://gejirin.com/hotuma03.html
:http://gejirin.com/src/Hi/hiruko.html
:http://gejirin.com/src/Hi/hiyoruko.html
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コメント
>この流産した未熟児が「ひよるこ」で、淡路にて葦船に乗せて流す。<
この「淡路」が、どこのことなのかは、ひとつの焦点。
鳥居礼氏は、「淡路」は「近江」の旧称として、
壺葦原=淡国=オキ壺=近江、と解されてゐる。
「和(やわ)して アワお胞衣(ゑな)として」とあるのは、アワ歌の「アワ」と淡国の「アワ」をかけてゐると観る。『秀真政伝』もその見解にあるといふ。
今村聡夫氏は、現在の淡路島の意と解されてゐる。
本アヤの末は「「この二柱 産む殿は 天の原見山(はらみ)と 筑波山 淡路月隅(つきすみ) 熊野なりけり」とあるので、「殿(との)」即ち宮殿があったはず。
『秀真政伝』では、胞衣をのちに西の嶋(=淡路島)に納め玉ひたので、この嶋を淡路島と名付けた、と記されてゐるらしい。
二柱は、のちに淡路島も開拓してゐるので、宮を置いて滞在されたことは確かだし、伊弉諾神宮は、その聖跡だらう。
胞衣を納めたのは岩屋神社か。
宏道 | 2013-10-15 19:44 |
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古事記・日本書紀には記述されず、ホツマツタヱにのみ伝承される「ひよるこ」を駒さんが読み解きます。
「ひよるこ」は、イサナギとイサナミが聡明な長女「ヒルコ」を生んだ後に、世嗣子を生まんと試みて、ある事情で失敗し、未熟児を出生し流産してしまいます。
この論考では、そのクダリを古事記や日本書紀と照らし合わせて、ホツマツタヱを解説しています。この部分は、日本神話の謎、
その1. 国生み、神生みとは何か?
その2. 何故、アマテラスは女神とすり替えられたのか?
その3. 淡路島は、日本国創生にどういう役割を果たしたのか?
に関わる大切なクダリです。
コメントで宏道が指摘しているように、このアハチを、琵琶湖と観るか、淡路島と観るか、この解釈は研究者の中に定説はありません。もしも琵琶湖と観た場合(後に淡路島に遷された)も、もともとの「流された果て」が、沖の島なのか、竹生島なのか、あるいはそもそも「沖合」でしかないのか、見解は分かれます。
ちなみに、とらさんは竹生島の黒龍神社(黒龍堂)などには、死産児鎮魂の趣を感じることがありますが、、、
ところで、
>記紀においては、この時点で「ひるこ」は消滅するわけである。
これが、ひるこ (別名:稚日女尊/稚日靈女尊/下照姫/丹生都比賣大神/御歳神) の事蹟が歴史に残っていない理由< と、駒さんは結論づけています。
この論旨は、とらさん的には拙速と考えます。
1. 記紀は、アマテラスをそもそも女神化したかった
2. そのモデルとしてワカ姫(とハナコ)を見いだし、当てはめた
3. その結果、ワカ姫が不要、というか存在を消したくなった
4. ワカ姫を消すために、ワカ姫をヒヨルコに差し替えた
と考える方が、筋道が通ると思っています。
(もちろん、何故アマテルを女神化したかったのか、という根本の動機を探る必要があるのですが、それはまた、項を改めて、、、)
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さて、本論とはまったく(いつものこと乍ら)関係ありませんが、↓
このテーマは執行社長が常日頃かたっている現代の重要課題です。とらさんは、幼少期から「器用貧乏」な小賢しい子供だったので、先生方からは優等生とチヤホヤされて育ちました。その結果、やはり、「断念」の気概に欠けて、いたずらに道草を喰ってきた感があります。まあ、それこそ吾が運命だったのでしょうが。
今は、心友・駒形一登の生きざまを目の当たりにして、(振りかえって千葉富三翁の晩年に学ばせて頂いて)スッキリとした気持ちでホツマツタヱに取り組むことが出来て、まったく本望です。あな ありがたや。