縄文叙事詩ホツマツタヱ

検証ほつまつたゑの編集長とらさんがリリース

駒形一登 全仕事 0030

ひよるこ     2013-01-15 07:17


「ひよるこ」は、ホツマツタエだけに登場する。
一応イザナミが生んだ子なのだが、謎も多い。

イザナギイザナミはコトサカノヲを「うきはし (仲人)」として夫婦となる。
この夫婦を特に「ふたかみ (二神)」と呼んでいる。

この「かみ」は「上位・上流・源」の意で、本来は「上・頭・官」などの漢字を当てるべきなのだが、慣例に従い「二神」としている。
また「ふたはしら (二柱)」「あめふたかみ (天二神)」と呼ばれる場合もある。

「神」は通常、神霊 (肉体を持たないもの) を指す。だから基本的に世に生きる人間を「神」とは呼ばない (ただし唯一の例外を除く)。
しかしその人間も、世を去れば「神」と呼ばれることになる。

はじめ、二神は筑波のイサ川 (今の桜川と思われる) の畔のイサ宮に住む。
ここで「みとのまぐわい (凸凹の交わい)」によりヒルコ(蛭子) を生んでいる。
ヒルコは3歳になる年、両親が42歳と33歳の厄年に当たっていたため、その厄が子に及ばぬようにと、イワクス船 (斎奇船/穢朽す船)に乗せて流される。重臣のカナサキがそれを拾い上げ、西宮の廣田宮で育てる。

その後二神は、近江「オキツボ」の「オキツ宮」に移る。
ここに「ヤヒロ殿 (八紘殿)」を建て、ここを国家再建の中心拠点とする。

二神は、このヤヒロ殿に立つ中柱 (大黒柱) を廻って、国土の八島を始めとして、海・川・山の幸、木祖のククノチ、茅の姫、野槌など、万物を生む。
「生む」というのは、オモタル政権の断絶によって、一旦は果てた日本の「再生・再興」という意味だろうと思う。

しかしそうなる前、ヤヒロ殿の中柱を廻ることによる国生みは、一度失敗しているのである。
ホツマの記述を見てみよう。

『二柱 うきはしに熟る オノコロの 八紘の殿に 立つ柱 回り生まんと 言挙げに 女は左より 男は右に 分れ 回りて 会ふ時に 女は 「あなにえや 愛男子」と 男は 「わな嬉し 愛乙女」と 歌ひ孕めど 月 満てず 胞衣 破れ生む ヒヨルコの 泡と流るる これも未だ 子の数ならず 葦船に 流す淡路や』ホツマ3文

ヤヒロ殿の中柱を廻って、二神がぶつかる時に歌を歌う。
これによってイザナミは孕むが、流産してしまう。
この流産した未熟児が「ひよるこ」で、淡路にて葦船に乗せて流す。

しかしこの話、どこかで聞いたことがある。

古事記
『爾くして伊邪那岐の命、「然あらば吾と汝と、この天の御柱を行き迴り、逢いてみとのまぐはひせん」と詔りき。かく契りてすなわち、「汝は右より迴り逢え、我は左より迴り逢わん」と詔らして、契り終えて迴る時に、伊邪那美の命 先ず「あなにやし えおとこお」と言い、後に伊邪那岐の命「あなにやし えおとめお」と言い、おのおの言い終えし後に、その妹に告げて曰く、「女人の先に言えるは良からず」。しかれどもくみどに興して生みし子は水蛭子(ひるこ)。此の子は葦船に入れて流しうてき。次に淡嶋を生む。是もまた子の例に入れず。』

日本書紀
『即ち将に天柱を巡らんとして、契りて曰く、「妹は左より巡れ、吾は右より巡らん」。既にして分れ巡り遇う。陰神(めかみ)すなわち先ず唱えて曰く、「あなにえや、可愛少男(えおとこ)を」。陽神(おかみ)後に和して曰く、「あなにえや、可愛少女(えおとめ)を」。遂に夫婦(みとのまぐあい)して、先ず蛭兒(ひるこ)を生む。すなわち葦船に載せて流しき。次に淡洲を生む。此は亦、兒の數にいれず。』

「ひよるこ」が「ひるこ」に化けている!

記紀においては、この時点で「ひるこ」は消滅するわけである。
これが、ひるこ (別名:稚日女尊/稚日靈女尊/下照姫/丹生都比賣大神/御歳神) の事蹟が歴史に残っていない理由である。

参考サイト:http://gejirin.com/hotuma03.html
     :http://gejirin.com/src/Hi/hiruko.html
     :http://gejirin.com/src/Hi/hiyoruko.html

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コメント

>この流産した未熟児が「ひよるこ」で、淡路にて葦船に乗せて流す。<
この「淡路」が、どこのことなのかは、ひとつの焦点。

鳥居礼氏は、「淡路」は「近江」の旧称として、
壺葦原=淡国=オキ壺=近江、と解されてゐる。
「和(やわ)して アワお胞衣(ゑな)として」とあるのは、アワ歌の「アワ」と淡国の「アワ」をかけてゐると観る。『秀真政伝』もその見解にあるといふ。

今村聡夫氏は、現在の淡路島の意と解されてゐる。

本アヤの末は「「この二柱 産む殿は 天の原見山(はらみ)と 筑波山 淡路月隅(つきすみ) 熊野なりけり」とあるので、「殿(との)」即ち宮殿があったはず。

『秀真政伝』では、胞衣をのちに西の嶋(=淡路島)に納め玉ひたので、この嶋を淡路島と名付けた、と記されてゐるらしい。

二柱は、のちに淡路島も開拓してゐるので、宮を置いて滞在されたことは確かだし、伊弉諾神宮は、その聖跡だらう。
胞衣を納めたのは岩屋神社か。

宏道 | 2013-10-15 19:44 |

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 古事記日本書紀には記述されず、ホツマツタヱにのみ伝承される「ひよるこ」を駒さんが読み解きます。
 「ひよるこ」は、イサナギとイサナミが聡明な長女「ヒルコ」を生んだ後に、世嗣子を生まんと試みて、ある事情で失敗し、未熟児を出生し流産してしまいます。
 この論考では、そのクダリを古事記日本書紀と照らし合わせて、ホツマツタヱを解説しています。この部分は、日本神話の謎、
その1. 国生み、神生みとは何か?
その2. 何故、アマテラスは女神とすり替えられたのか?
その3. 淡路島は、日本国創生にどういう役割を果たしたのか?
に関わる大切なクダリです。

 コメントで宏道が指摘しているように、このアハチを、琵琶湖と観るか、淡路島と観るか、この解釈は研究者の中に定説はありません。もしも琵琶湖と観た場合(後に淡路島に遷された)も、もともとの「流された果て」が、沖の島なのか、竹生島なのか、あるいはそもそも「沖合」でしかないのか、見解は分かれます。
 ちなみに、とらさんは竹生島黒龍神社(黒龍堂)などには、死産児鎮魂の趣を感じることがありますが、、、

 ところで、
記紀においては、この時点で「ひるこ」は消滅するわけである。
これが、ひるこ (別名:稚日女尊/稚日靈女尊/下照姫/丹生都比賣大神/御歳神) の事蹟が歴史に残っていない理由< と、駒さんは結論づけています。
 この論旨は、とらさん的には拙速と考えます。
1. 記紀は、アマテラスをそもそも女神化したかった
2. そのモデルとしてワカ姫(とハナコ)を見いだし、当てはめた
3. その結果、ワカ姫が不要、というか存在を消したくなった
4. ワカ姫を消すために、ワカ姫をヒヨルコに差し替えた
と考える方が、筋道が通ると思っています。
(もちろん、何故アマテルを女神化したかったのか、という根本の動機を探る必要があるのですが、それはまた、項を改めて、、、)

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 さて、本論とはまったく(いつものこと乍ら)関係ありませんが、↓
このテーマは執行社長が常日頃かたっている現代の重要課題です。とらさんは、幼少期から「器用貧乏」な小賢しい子供だったので、先生方からは優等生とチヤホヤされて育ちました。その結果、やはり、「断念」の気概に欠けて、いたずらに道草を喰ってきた感があります。まあ、それこそ吾が運命だったのでしょうが。
 今は、心友・駒形一登の生きざまを目の当たりにして、(振りかえって千葉富三翁の晩年に学ばせて頂いて)スッキリとした気持ちでホツマツタヱに取り組むことが出来て、まったく本望です。あな ありがたや。