駒形一登 全仕事 0031

嫁ぎ 2013-01-15 12:13
「とつぐ」は「嫁ぐ」と漢字が当てられているので、「妻となる女が、夫となる男の家に移り住む」というイメージが強いが、元来は違う。
「とつぐ」は「とつ(閉づ・綴づ)」と「つく (付く・接ぐ)」が連結した複合動詞。
どちらも意味は同じで「合わす・交える・結ぶ」などの意。
「とっつく (取っ付く)」「とりつく (取り付く)」なんかと同じである。
したがって「とつぎ」は「交合・交接」であり、つまりは「性交」である。
だから行為としては「みとのまぐはい (凸凹の交わい)」と同じである。
「みと」は、おもしろい単語で「女性器単体」「男性器単体」「男女の性器」のすべての意を表す。
「ひよるこ」のページで、ヤヒロ殿の中柱を廻って万物を生もうとした二神は、はじめに「ひよるこ」という失敗作を生んだことを書いた。記紀では「ひよるこ」は「ひるこ」にすり替えられ、ヒルコ姫はその時点で歴史から姿を消した。
二神の行ったことは、こうである。
『二柱 うきはしに熟る オノコロの 八紘の殿に 立つ柱 回り生まんと 言挙げに 女は左より 男は右に 分れ 回りて 会ふ時に 女は "あなにえや ゑをとこ" と 男は "わな嬉し ゑおとめ" と 歌ひ』ホツマ3文
二神は失敗の理由がわからなかったので、天 (中央政府) に伺いを立ててみた。
『ある形 天に告ぐれば フトマニを 味わえ曰く "五・四の歌 言を結ばず 言挙げも 女は先き立てず"』ホツマ3文
すると、フトマニの48音 (四十八神) に鑑みて云わく、「五・四調の歌は言葉を実現しない。言葉を発するにしても、女が先に発してはいけない」。こういう回答だった。さらに、
『とつぎとは 雌のニワナフリ 尾 搖れ 鳴く 雄鳥 鳴き去る またある日 雄鳥 装ふ 雌が知りて 合ひ交われば 天地よりぞ 鳥に告げしむ とつぎ法』ホツマ3文
メスのセキレイの方から尾を上下に振って求愛すると、オスは鳴き逃げてしまった。別の時、オスの方が尾羽を開き翼を下げて求愛した。それを見てメスはオスと交わり、交尾が成功した。天神がトリを使って人に交合の作法を告げている。だから「とつぎ」と言うのだ。
「う~ん、そんなもんかぁ」と、二神はやり方を改めて再び中柱を回る。
『二神は 新たに回り 男は左 女は右 回り 会ひ 歌ふ 天のアワ歌 "あなにゑや 美し乙女に 会いぬ時" 女神 応えて "わなにやし 美し男に 会ひきとぞ"』ホツマ3文
変更点:
(1) 今回は男が時計回り、女を反時計回りとした。(前回は逆)
(2) 今回は男が先に歌った。(前回は逆)
(3) 今回は歌の形式を「五・七・七」とした。(前回は「五・四」)
変更点についての考察:
(1) アメノミヲヤが天地創造する時、水に油が浮かぶように浮んでいた天元神は、時計回りに回転を始める。上部にある軽い成分 (油・陽) が時計回転するならば、下部にある重い成分 (水・陰) は相対的に反時計回りの回転をしていることになる。
(2) 『生の一意気 全かにて 水に油の 陰陽 分かれ 陽 まず 上りて 天となり 陰は 後 下り』ホツマ16文 とある。
(3) 『ハナキネは 五・七に綴るを 姉に問ふ 姉の答えは "陽陰の節"』ホツマ1文 とある。しかしなぜ「五・七調」が陽陰の節なのかは不明。
この改良は功を奏し、二神は国土の八島を始めとして、海・川・山の幸、木祖のククノチ、茅の姫、野槌など、万物を生むことに成功したのである。
二神の八紘殿の中柱を廻っての「国生み」は、原初の時にアメノミヲヤが行った創造プロセスを、地上において再現したものなのであろう。
参考サイト:http://gejirin.com/hotuma03.html
:http://divinehuman.blog.fc2.com/blog-entry-22.html
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「とつぎ」を駒さんが、解説します。
>「妻となる女が、夫となる男の家に移り住む」というイメージが強いが、元来は違う。<
この思い込みは、「嫁ぎ」という漢字表記による固定観念です。本来は、陰陽和合を象徴する、ある種の「神事= カミゴト」なのです。
「みとのまぐはい」と古語で云うところの性交を、行為としては意味するのですが、その求めるところの真実は、宇宙創成、生命誕生と関わる崇高な結びつきなのです。「神事= カミゴト」である故に、そこには作法があり、決め事、段取りを誤ると、本来の成果を生むことが出来ないとホツマツタヱは記します。
「とつぎ」を「とづ」「つぐ」の合体と駒さんは読み解きますが、はて、ここは難しいところです。「みとのまぐはい」の「と」と、「とつぎ」の「と」は、やはり重なると考えるのがなめらかでしょう。「と」は「門/戸/口」であり、やはり女性性が高いと、とらさんは観ます。つまり「と」とは「ホト」であり、女性器であり、子宮への入口です。そこへ、「突く」「接ぐ」「嗣ぐ」ことが、「とつぎ」であると丸く考えたいところです。
他方で、「と」は「斗の教ゑ」の「ト」ともつながります。つまり、「とつぎ」とは、「斗の教ゑ」へ「つながること」「告ぐ/合一を遂げる」ことでもあるわけです。
ここは重要です。とらさんは、「斗の教ゑ」の「ト」とは、「トコタチ」の「ト」であるとともに「ホト」の「ト」であると、そもそも考えています。「メ(陰)にヲ(陽)が合一/不二と成る」こと(によって永遠の巡りと結ばれること)が、最も大切と「斗の教ゑ」は伝えていると観るからです。タントラ密教で悟りや涅槃の境地を陰陽合一に表現することと同じです。
これ故に、「みと」とは、「凸凹」だけではなく、「御斗」であり、「身門」でもあるわけです。さらに、神学的には「三つの門」でもあり、「天地人の結節点」という象徴的意味がそこに潜んでいると観ることが出来ると思います。つまり、「みとのまぐはい」によってメヲ(女男)は「とつぎ」、イノチの精華を輝かせてヒトとしてアメツチと合一することが出来るわけです。
抱(いだ)けば宇宙と結ばれる、のです。
そんな大切なカミゴト(神事)を、小鳥さんから教わるという物語は、何とも大らかで、縄文の風儀を如実に伝えるクダリですね。
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本論とはいつも通り無関係ですが、仏教の起源と、キリストの出自とは、深くつながる物語があり、それは、縄文人やアメナル道との関わりも見え隠れします。この方の筋立ては、↓ 「持っていこうとする方向が、とらさんとは逆張り」なので、視聴を積極的にオススメするものではありません。しかしながら、「逆張り陰謀論」を理解するには良い素材を提供してくれています。小説『アマテラスの暗号』等に通じるところがありますね。