縄文叙事詩ホツマツタヱ

検証ほつまつたゑの編集長とらさんがリリース

ホツマ標(しるべ)~ホツマ読み解きのへそ~⑨ 「ソシモリ」 <134号 令和6年8月>

  検証誌が指摘してきた「ソシモリ」

 「ソシモリ」を先代旧事本紀
「素戔烏尊率其子 五十猛神 降到於新羅曾尸茂梨之處矣 曾尸茂梨之處 纂疏新羅之地名也 按倭名鈔高麗樂曲有蘇志摩利 疑其地風俗之歌曲乎 乃興言曰 此地吾不欲居 遂以埴土作船 乘之東渡 到于出雲國簸之河上與安藝國可愛之河上所在鳥上峰矣」と記述し、『和名類聚抄』を引用していて、成立年代を混乱させていますが、その註釈は、(曾尸茂梨新羅の地名である。倭名鈔(和名類聚抄)の高麗樂曲にある蘇志摩利(ソシマリ)はその地の風俗を歌う曲である。)という内容です。

 これは、日本書紀の一書における記述(卷第一 第八段 一書第四)にある
「一書曰 素戔嗚尊所行無状 故諸神 科以千座置戸 而遂逐之 是時 素戔嗚尊 帥其子五十猛神 降到於新羅國 居曾尸茂梨之處 乃興言曰 此地吾不欲居 遂以埴土作舟 乘之東渡 到出雲國簸川上所在 鳥上之峯 時彼處有呑人大蛇」から、導かれた解釈であり、ソサノヲが、新羅を流離った「誤訳 伝」を拾っています。

これは、本誌78号で駒形一登氏が指摘したように

「みからさすらふ ソサノヲの かけのみやひの あやまちお はらしてのちに かえります」ホ7

のくだりを「身から流離ふ」を「三韓流離ふ」と誤漢訳した故のこじつけです。(誤訳というより半島出身漢訳者の故意も疑えますが)

 方言の「ソシモリ」

「ソシモリ」は、ホツマ伝では、流離うソサノヲを暖かく受け容れた「ゆげのそしもり つるめそ」ホ9

に登場する難語ですが、 本誌11号「ソシモリ考」で、

「出雲方言では『そじる』は、竹やゴボウを削ること」「会津方言でも『そじる』を『摺り切れて傷む』ことをいう」「モリは、『守』であり『カシラ』を意味する」と指摘して、弓矢職人頭のツルメソ(個人名)を指すのではないかと論じています。つまり「弓削職人村の弓矢職人頭であったツルメソ」宅に寄宿した、と云う意味ではないかと。

 このように、ホツマツタヱが漢訳され、それが記紀に再翻訳された際に生じた(一部は意図的な)誤訳が、いろいろあります。でも、逆にその検証が、ホツマツタヱの真書性を証明する証となることは、興味深いですね。   (さらに探究を続けていきます)

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 ソサノヲが半島出身者であるという誤った噂は、今でも特定の現代人が信じ込み、出雲の地においてもその「根拠」なるものを、あれこれ発掘したりしています。ですが、その出所を慎重にさぐると、日本書紀のある「誤訳」に行き着きます。
 それが「誤訳」であるとわかるのは、ホツマツタヱの原文を丹念に読み込み、記紀などの古伝書と比較する作業のたまものです。そもそも、「誤訳」の真因が大和言葉への無知に拠るものだけではないこともあります。無知による錯誤ではなく、意図的な改竄も含まれているのです。
 わたしたちホツマツタヱ愛読研究者は、記紀などの古伝書の成立に、その「原典」となった文献の存在を推認しています。その原典となる文献は、ヲシテ文字(ホツマ文字)で記述されたホツマツタヱ原文ではなく、「漢訳ホツマ」ではないかと考えています。
 ホツマツタヱ原文→漢訳ホツマ→記紀などの古伝書の置き換え作業の各段階で、錯誤もあれば、意図的な改竄、意図的な削除や加上があったと考えているわけです。ですが、逆にその箇所に注目することで、「ホツマツタヱの真書証明」がなされたり、時の編纂者が何を隠そうとしたのか、などが解明されることもあります。

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 執行草舟さん「社長」のチャンネルにはまっています ↑ 東西哲学に造詣が深く禅と武士道に立脚するご主張には、とても深い学びがあります。でも、日本神話の神髄であるホツマツタヱをもっと知って頂きたいですね。

 毎日さほどの打ち合わせもなく動画発信されていて、膨大な蓄積となっていますが、なかでも、神回❗❗と、とらさんが感動したのは、この ↓ 動画です♡

 アマテル大御神の垂れた「伊勢の道」を考える時に、大切な示唆を与えるはずです。 ↑↑↑