縄文叙事詩ホツマツタヱ

検証ほつまつたゑの編集長とらさんがリリース

【ホツマ辞解】 ~大和言葉の源流をさぐる~ その⑤「ほつま」と「やまと」続編 <92号平成29年8月>

「やまと」とイサナギとの考察です。

 ホツマツタヱにおける「やまと」(という語句)の初出は、2アヤです。オモタル・カシコネの御代について、

【 オモタルの神 カシコネと 八方を巡りて 民を治す ヲウミ安曇の 
中柱 東はヤマト 日高見も 西は月隅 葦原も 南阿波ソサ 北は根の 
ヤマトホソホコ チタル国 及べど、、、】とあります。

 ここで「ヤマト」は二回表記されますが、この「ヤマト」は美称ではなく、また(後の)和州としての地名でもなく、「あの山並み彼方の麓の(日高見国/ホソホコチタル国)」という意味でしょう。この行に続いて、両神

【 矛の雫の オノコロに 宮殿造り オオヤマト
万物生みて 人草の (略) 分別(わいため)定む 】
 と、その事績が語られます。

 イサナギの「やまと」なる事績は、枕詞のアヤに、
【 禊ぎに民の 調いて イヤマト徹る 葦引の 】ホ5
【 カカンして ノン天地(あわ)国は デン ヤマト
 引きて明るき 葦原の 】ホ5
【 心を明かす 歌の道 禊ぎの道は 身を明かす 
ヤマトの道の 大いなる哉 】ホ5 と重ねて語られるところの、即ち、
「(歌と禊ぎにより)心身を刷新し、眼前の課題(耕地開拓による経世済民)に誠を尽くし団結実現すること」です。

 斯様に考察する中で、「ほつま」は、そのまま「秀真」「聖上」を意味するのに対し、「やまと」は、より生成過程(修理固成)の意味合いを含んでいることに気づきます。

 「八方(やも)を巡りて マトとなす」父祖の神々たちの事績を伝えていく中で、
「地上全体(や/八方)の、未完成(や/八)な状態を真正(ま/真)の完成(と/十)へ造り堅めなす、要の辞として「やまと」が意識されていったのだと考えられます。

 つまり、本伝における「やまと」という辞の初出は、イサナギ治世ですが、普通語句であった「やまと」が求めるべき「やまと」に成熟していく「きざし」が、イサナギの御代に初出したと観ることが出来ます。

 「大いなるやまと」は、「やまと」の完成をいいますが、それを「おおやまと」と表現した天照大神に、やはり、その理想型が体現されているのでしょう。
(駒形「ほつまつたゑ解読ガイド」参照)

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「ほつま」と「やまと」を考察した連続コラムの最終です。ここでは、イサナギの治世における「やまと」に着目しました。イサナギとイサナミはアメナナヨ(天七代)の最後の天神です。このクニトコタチからナギナミの両神に至る七代にわたって、「やまと」が創り固められてきたと、読みとったわけです。

「ほつま」が、理想型を表現するのに対して、「やまと」は、理想型をめざす現実的進行形の状態を表現していると観ることが出来るわけです。ということは、「やまと」は、日々これ新たなり、と云う決意につながります。

わたしたちの祖国「ひのもとやまと」は、日々これ新たなり。理想の「ほつま」を心中に描いて、歩んでいきましょう。

とらさんの新著(イラストレーター牛嶋浩美さんとの共著)が、今月末に配本されます♡

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