縄文叙事詩ホツマツタヱ

検証ほつまつたゑの編集長とらさんがリリース

【ホツマの論点】 源氏は斗の教ヱを掲げるモノベか <122号 令和4年8月>

YouTubeの人気チャンネル『むすび大学』では、小名木善行氏(ねずさん)の「縄文文明論」や「戦国時代論」が視聴を集めています。そのねず先生の最新刊『日本武人史』に興味深い指摘がありました。

源頼朝の先祖である八幡太郎義家は、平安時代後期の武将。源氏の棟梁であり強弓の達人です。数々の戦で武功をあげていましたが、前九年の役で次のような逸話があります。奥州の豪族、安倍一族の反乱に端をなす奥州の大乱を討伐するために派遣された義家は、敵側の大将である安倍貞任を馬上に捕捉します。

得意の弓をつがえて「衣のたては ほころびにけり」と貞任に下の句を投げつけました。すると、逃走中の貞任は、振り向いて大胆に笑むと「年を経し 糸の乱れの 苦しさに」と返したのです。鎧三人貫きの強弓を誇る義家は、その返歌に感じ入って、見逃した、と。

「お前は、もう死んでるぞ」と投げた歌に返した貞任の上の句を、現代学者のなかには「年寄りで、古着の糸もヨレヨレなのさ」と解釈し、義家が同情したとみる向きもあるそうです。「とんでもない」とねず先生は指摘します。これは、武人として朝廷に仕える義家に対して、「朝廷こそが、年を経て政治が乱れ、民が苦しんでいるのだ」と切り返した歌と詠まねば、投げつけられた義家の心情を見誤ると、云うのです。

確かに「律令制からの長年の政治の乱れ」と上の句を解釈すると、義家が投げた下の句は「天朝の政治は既に崩壊している」と、上の句を首肯する歌になってしまいます。見事な返しです。衣のタテ=盾=鎧(などムダだ)と投げた歌を衣のタテ=経糸=筋目と、読み替えられてしまったわけです。

さて、ホツマ愛読者なら「政治の乱れ」を「衣の乱れ」で比喩表現した切り口は、まさに「斗の教ヱ」が説く徳治政治の在り方に通じるとお感じになるのではないでしょうか。八幡太郎義家も敵将の安倍貞任も、おのれの役目を「まつりごとにタテヨコの筋目を通すモノベ臣としての役割」と任じて、相通じ合ったから、弓を射ることを止めたのでしょう。

源氏が八幡神社を守護とするのは「八幡」をトホカミヱヒタメの八元神を祀る「ヤトヨハタ」と承知していたからではないでしょうか。斗の教ヱは、時代を超えて生きているのです。日本をかっこよく。

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むすび大学という教養チャンネルでご活躍の小名木善行(ねずさん)の著作から学んだエピソードを、ホツマ愛読者として解釈しました。
我が国においては、すぐれた武人はすぐれた歌人でもある訳なのですが、「モノベ」の矜持を垣間見る気がいたします。
「源氏」と「八幡神社」の捉え方も、中世を考える際の大切なポイントだと思います。

(本ブログは、no+e ブログのミラーです)

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↑ むすび大学のチャンネルではなく対談相手は(あぁ、、、)ですが。