「あま」と「あめ」は、共に、「天」「天界」「天運」「和上」「中心」を意味する言葉で、ヲシテ文献にはよく使われます。「あま」は「あまつ(天津)」や「天照らす」云々と掛かる言葉として、「あめ」は「あめつち(天地)」や「天が下」云々などと続く言葉に慣例があります。父音が「空」である「あま」と父音が「水」である「あめ」に、明確な区別があるかというと何処か曖昧としてつかみ所がありません。このテーマは、追々掘り下げてみたいのですが、興味深い点をいくつか取り上げておきましょう。
①「天地」というように「地(界/上)」と対となる言葉であるのに「あめ」単独(少数例で「あま」)でも、「天地」を意味することがある。
②「陰」や「月」に対しての「陽」や「日」を表す語句であるのに「あま/あめ」で陰陽や日月を表す場合がある。「陰陽の和合」や「調和」「和上」を表現していると思われる。「あめなるみち(天成る道)」や「あまのめぐり(天の巡り)」「あめのり(天則)」などは、調った陰陽(天界地界)を意味するようだ。
③至上の「和合」を体現した神格として「あめみをや(天御祖神)」や「あめみなかぬし(天御中主神)」あるいは「あまてるををんかみ(天照大御神)」がいらっしゃるが、「みをや神」と「みなかぬし神」は、「あめ」であり、「ををん神」は「あま」である。
④「海」を表すのは、父音「水」の「あめ」ではなく、「あま」である。
⑤「天神(あまかみ)」、「天尊(あめみこと)」、「天君(あまきみ)」。「ま」と「め」は混在しない。神武以降は、「あますへらぎ」「あめすへらぎ」の混在がある。
⑥現代語の「自然」や「大地」は、縄文語では、「あめつち」であり、そもそもに天空界地上界を内包している。また「人類と自然」という対置の関係よりも、「天地人」が融合循環する世界観をもっていた。
⑦万葉集に「あまのはら(天原)」が15例ある。『古事記』冒頭には「訓高下天云阿麻下效此」とあり、天は「アマ」と読むよう訓註があるが、ヲシテ文献では、「たかま」=(地上)「たかまのはら」=(天上/宇宙)が本則。「たかあま(め)はら」の用例はない。
『(あわうたを) なそらえは ひとのへなみの あまのはら』ミ10
『外はタカマの ハラ廻り 百万トメジ』ミ6
『よそこのカミは アに還り 元のタカマの ハラにあり』ミ6
(駒形「ほつまつたゑ解読ガイド」参照)
++++++++++++++++++++++++++++++
「アメツチ/天地」が縄文ホツマの世界観ですが、「天」には、「あま」と「あめ」があり、微妙な違いがあるように思われます。世界観の基本概念となる言葉なので、慎重に吟味したいところです。
ちょうど、本号が刊行されたタイミングが平成から令和への「御世替わり」でしたので、「天」を考える好機だったと思います。
古神道では、「あま」を本則と見なし、「あめ」を誤読と解釈する傾向もあるけれども、ホツマツタヱでは、そこは単純ではないようです。天照大御神は、確かに「あま」ですが、天御祖神や天御中主神は、「あめ」です。また、特に「あめ」で、陰陽や天地の全体を意味する用例もあり、注意が必要です。
それはともあれ、今年から来年にかけて、「天の巡り」には注視が必要ですね。