縄文叙事詩ホツマツタヱ

検証ほつまつたゑの編集長とらさんがリリース

【ホツマの論点】 フリマロとオモイカネ/トカクシとタチカラオ <136号 令和6年12月>

 アマテル大御神がトヨケの元でアメナルミチを学んでいた頃に、ご学友としてそばに近侍していたフリマロ。『ひとり侍る フリマロは 六代ヤソキネの 世嗣子ぞ』(ホ4)とありますので、一般的にはヒタカミ国の七代国主となったタカキネ(高木神)と観る解釈が、ホツマ愛読者の中では一般的です。しかし、本誌論説者の今村氏は、「フリマロは、アチヒコ(後のオモイカネ神)の幼名であり、ヤソキネの嫡子であったが、学友アマテルの皇位継承に輔弼して、鏡の臣として就任し、弟のタカキネが七代タカミムスビに就任した」と観ておられます。

 タカキネの御子にヨロマロがいて、オシホミミが多賀若宮に居てオモイカネとワカ姫に養育されていた頃に、ヨロマロはオシホミミの傍に近侍していました。やはりご学友です。『オモイカネ ワカ姫 共に 守り育つ ヨロマロ一人 側にあり』11文 オモイカネが死去するとヨロマロ父タカキネがやってきます。多賀若宮に新宮を建て、「カフノトノ」役に就任して輔弼します。その後オシホミミが、ケタツボに都を遷して即位すると、学友のヨロマロも付き従い、空位となっていたヒタカミ国主を嗣いだと思われます。譲位したとはいえアマテル大御神も壮健でありサヲシカを通じて勅を発布していたので、このあたりの読み解きは複雑です。

 ところで、戸隠に祭られる主祭神トカクシ神も、出自が少々謎めいている人物です。トカクシは、27アヤで就任するカモヒトへの(アマテルの)勅使役として登場します。

 『アマテル神の 御言宣 トカクシをして 云々』『(カモヒト)君 受けて シカ【トカクシのこと】去る時に 御言宣 "冬至る日に 大祭"』27文 即位式にアマテル代理を務めるのですから、アマテルの信頼を得る最側近と思われます。ただ、この「トカクシ」と云う名前は後に賜った称え名に思えます。何故なら、

 モチオロチが信濃に出没した時に『(オロチが)逃げ出たり 越の洞穴 掘り貫けて 信濃に出れば これを告ぐ 伊勢のトガクシ 馳せ帰り』28文 以降に記述されるオロチ退治にて「咎クシ」の名を賜ったと推測されるからです。伊勢のアマテルに近侍していたトガクシですが、「馳せ帰り」とあり、信濃が故地であったことがわかります。伊勢から戸隠に向かう道筋にはオモイカネを祭る阿智社があり、縁故も思わせます。緊急時に「馳せ帰り」表現は、岩戸事件の際のオモイカネの「馳せ訪ひ」にも重なる表現とも思えます。

  戸隠神社では主祭神手力雄神ととらえていますが、さて、他に読み解きは可能でしょうか。

+++++++++++++++++++++++++++++++++

 戸隠神とは、一体何神であられるのか。戸隠社も神仏習合に基づく修験道の一大拠点でした。箱根神社などもそうですが、中世・近世にそういう歴史を重ねた古社では、神社のご祭神が錯綜しています。136号では、そのあたりのことを考えてみた論考を掲載しています。
 この論点のもうひとつのテーマは、「ご学友」です。アマテルにもオシホミミにもご学友が存在していて、成人後の大君にも大きな影響力を与えます。アマノコヤネ系(=中臣氏/藤原氏)も、アメタネコが、後の神武天皇の後見子守役であったり、オオカシマがヱミシ討ちに長征したヤマトタケの支援に寄り添ったり、皇子との関係性に配慮をしてきました。後の藤原氏が、閨閥政治を牛耳ることになったのも、「ご学友」的な存在と働きに力を注いだ戦略の成果とも観ることが出来ます。
 悠仁親王殿下におかれましては、春より筑波大学へご進学なされますが、佳きご学友に恵まれますことを、衷心よりお祈りいたします。

+++++++++++++++++++++++++++++++++

本論とは直接関係しませんが、就任したトランプ大統領の息子バロンに注目が集まっています ↑ 悠仁親王殿下と同じ2006年生まれです。

ちょっと冗長だけど、↑ 何故、バロンが? 、、、がよくわかる。